ジャーナリズムとマーケティング思考

博士課程の蓼沼です。私はマーケティング思考の社会的な広がりについて研究をしています。最近関心をもっているのは、報道とマーケティング、2つの業界の距離が縮まっているようにみえること、そのことによって、ジャーナリズムとマーケティング思考の接近(あるいは衝突)が起きているのではないかということです。

報道からマーケティングへ、という流れに注目すると、人材の移動がみられます。たとえば企業が自社でメディアを立ち上げ(オウンドメディアと呼ばれます)、そこに報道で活躍していた人材を招く動きがあります。一昨年のことですが、トヨタ自動車のオウンドメディア『トヨタイムズ』に、報道番組のアナウンサーが加わったことが話題になりました[1]。

『トヨタイムズニュース』のスクリーンショットを利用(取得日:2024年5月30日)
 https://toyotatimes.jp/newscast_movie/

それ以前にも、ユニクロが発行している雑誌に『POPEYE』の元編集長が就任したり[2]、ベンチャー・キャピタルのメンバーにテック系メディアの元編集長が加わる[3]など、似たようなケースが存在します。また、ジャーナリスト出身者が企業のマーケティングを支援する会社を立ち上げる例[4]もありました。

マーケティングから報道へ、という逆の流れについては、マーケティングやビジネスの世界で磨かれた方法論が報道で活用される動きがあります。代表的なのがデータ分析やWebデザインの手法を活用したデータジャーナリズムです。湯淺(2020: 246)はデータジャーナリズムの構成要素を、(1)ビッグデータを活かした分析、(2)データをグラフィカルに表現したインフォグラフィック、(3)ユーザーによるインタラクティブなデータの操作性、参加性の3点としています。

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マーケティング思考の広がりという私の関心事に引きつけて考えると、2つの業界の距離が近づくことで、ジャーナリズムとマーケティング思考、2つの思考法(あるいは規範、価値という言い方もできるかもしれません)の間でどのように考え、振る舞うか、働く人々のなかで葛藤が生まれるのではないか、ということが気になります。

もちろんこれまでも、2つの業界は完全に異質なものというわけではありませんでした[5]。ジャーナリストはマーケティングという言葉を使わずとも、市場の「ニーズ」を読んだり、競合する新聞・雑誌・番組などとの「差別化」を意識したりしてきたはずですし、マーケターがジャーナリスティックな視点を活かしてコミュニケーションを展開することもあったはずです。しかし、両者の間には形式的には線引きがあり、現在ほど境界線が曖昧ではなかったのではないかと思います。朝日新聞で働いた後に、ニューヨーク市立大学院の起業ジャーナリズムコースに在籍することになったある記者は、そのときの気持ちを次のように書き記していました[6]。

「ジャーナリズムと起業(ビジネス)が並立するなどあり得ない」と、私は戸惑った。

2つの業界やそこで働く人々に迫っていくときに欠かせないのは、どちらの実践にも大きな影響を及ぼしているメディアのありようを踏まえることだと思います。この点にも着目し、理解を深めていきたいです。


[1] 「元テレ朝アナ・富川悠太氏、公式サイトで新天地を報告 トヨタ自動車に入社し個人事務所も設立」『ORICON NEWS』参照元URL: https://www.oricon.co.jp/news/2232220/full/

[2] 「『POPEYE』元編集長がユニクロでフリーマガジン創刊」
『アドタイ』参照元URL: https://www.advertimes.com/20190830/article297847/

[3] 「前TechCrunch Japan編集長の西村賢氏、Coral Capitalにジョインしコンテンツ発信を強化」『BRIDGE』 参照元URL: https://thebridge.jp/2019/08/ken-nishimura-joins-coral-capital

[4] 「株式会社ブランドジャーナリズム設立、業務開始のお知らせ」『ブランドジャーナリズム』参照元URL:https://brandjournalism.jp/information/%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E8%A8%AD%E7%AB%8B%E3%80%81%E6%A5%AD%E5%8B%99%E9%96%8B%E5%A7%8B/

[5] マーケティングの語彙や思考枠組みがメディア業界に入っていったエピソードを、断片的に目にすることがあります。たとえば1980年代、バブル文化の移行期に「トレンディ」という、アメリカから輸入されマーケティング業界で使われていた言葉が、雑誌メディアを中心に拡散し、やがて日常語になったという経緯があったり(原 2006: 64-84)、2000年代前半に、あるマーケターが、雑誌の特集などで「ポジショニングマップ」が盛んに使われるようになったという指摘をしたりしています(山本 2004: 56)。それぞれの時代のマーケティング思考の広がりも、調べてみたいテーマのひとつです。

[6] ジャービス(2016)解説パート「著者ジェフ・ジャービスについて」における、井上末雪(朝日新聞メディアラボ記者)による文章(28ページ)。

【文献】

原宏之(2006)『バブル文化論: 〈ポスト戦後〉としての一九八〇年代』慶應義塾大学出版会。

ジェフ・ジャービス著 夏目大訳 茂木崇監修・解説(2016)『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか』東洋経済新報社。

山本直人(2004)『グッドキャリア: キャリアがブランドになる時』東洋経済新報社。

湯淺正敏(2020)『広告会社からビジネスデザイン・カンパニーへ』ミネルヴァ書房。