40年前の『ビデオドローム』が映し出す「メディア」

こんにちは。博士課程の森下です。今回のフィールドレビューは、研究室で一丸となって開催した第14回研究上映会について書こうと思ったのですが、それは別途として、最近観たメディア論的に興味深い映画を紹介することにします。

それは、鬼才デイヴィッド・クローネンバーグが1982年に撮った『ビデオドローム』。ポルノとバイオレンスを売りとするケーブルテレビ局の社長マックスは、売れるコンテンツを探すうちに、違法傍受した拷問や殺人の生々しい過激映像のみが続く番組「ビデオドローム」の虜になります(冒頭の秘書からのビデオメッセージ、ポルノビデオやケーブルテレビ業界、パラボラアンテナの描写など80年代のメディア事情が伺い知れるのも要注目)。やがて「ビデオドローム」は見た者の脳に腫瘍を生み、幻覚を見させることがわかっていくものの、深みにハマったマックスは「ビデオドローム」に肉体的にも支配されていきます。

『ビデオドローム 4Kディレクターズカット版』予告編

私はこの映画を昔々の教育部研究生だった頃に観ましたが、正直ストーリーはよく覚えてませんでした。が、マックスが支配されていく姿を象徴するビデオを体内に埋め込まれるシーンは、ノーCGならではのグロテスクで強烈なインパクトがあり、当時脳裏に焼きました。この映画はSFホラーというジャンルに属しますが、SFもホラーも大の苦手であるにも関わらず、この映画が私にとって初めて観た時から特別だったのは、メディア論的な面白さに満ちているからです。現在劇場公開しているのは、製作から40周年を記念して作られた4Kディレクターズカット版ですが、ビデオをスマホに置き換えると、まるでスマホが身体の一部となって日常を支配しているような、現代のメディア状況を映し出す示唆的な内容に見えてきます。

監督のクローネンバーグはカナダ人であり、製作当時のカナダにおけるメディア論の影響を受けていると勝手に推察していましたが、少し調べてみるとやはりその通りでした。カナダといえば、「メディアはメッセージである(メディアこそがメッセージである)」と説いたマーシャル・マクルーハン。当時は「自分でもよくわからないまま撮影に入った」というクローネンバーグですが、20年経って発売されたDVDのコメンタリーで、マクルーハンとの関連を述べているそうです(「映画評論家町山智浩アメリカ日記」より)。改めて見直してみると、「ビデオドローム」を生み出したオブリビオン(「無意識」という意味の名前も面白い)教授の話は、テレビ・ビデオにとどまらず、その後に続くインターネットやソーシャルメディアにも置き換えられるようで、マクルーハンのメディア論との接続を感じます。

クローネンバーグには他の映画で来日した時に接したことがありますが、とても知的で思慮深く、哲学者のような人でした。この当時、エログロ炸裂な表現の裏で身体の変容をテーマとしていたクローネンバーグが、「メディアは身体を拡張させる」と説いたマクルーハンに関心を持たないはずがありません。この映画が製作された頃のマスコミュニケーション研究といえば、コンテンツ重視の効果研究が主流でした。この映画も「ビデオドローム」の過激な暴力や性描写が観る者に与える影響を描いていると捉えられてきました。しかし、無意識だったかもしれませんが、クローネンバーグが描いたのは「ビデオドローム」というコンテンツではなく、ビデオというメディアそのものが人間を支配していくさまであり、まさにマクルーハンの「メディアはメッセージである」を表現しています。マクルーハンはこの映画が劇場公開される前の1980年にこの世を去りましたが、ビデオが体内に埋め込まれるシーンを観たら、きっと愉快に思ったに違いありません。

この映画がユニバーサルというメジャースタジオで製作されたことに驚きますが、興行的には失敗だったとか。しかし、その後のビデオやDVD全盛期にカルト的な人気を得たことが今回の40周年記念新版につながっているということも、この映画が持っているメディア論的な面白さのひとつです。40年経っても発見のあるカルトの名作は、現在劇場公開中(映画公式HP)。ご興味ある方はぜひ。

シネ・リーブル池袋ロビーにて