座・高円寺ドキュメンタリー・フェスティバルに参加しました

こんにちは。今回のフィールドレビューを担当いたします、修士課程2年の朱です。

先週は久々に現地開催のイベントに参加しました。2月9日から13日までに開催された座・高円寺ドキュメンタリー・フェスティバルです。「忘却」をテーマにして、5日間に20本ほどの作品が上映されました。今回は2月9日に上映された『燃え上がる記者たち』と『NNNドキュメント14’「反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」』(以下、『反骨のドキュメンタリスト』)という2作品を鑑賞し、それぞれの上映後のトークイベントに参加しました。2作とも非常に面白くてかつ意義のある作品で、作品の内容とトークを通じてテレビやジャーナリズムについて色々考えることができました。

『燃え上がる記者たち』 (http://zkdf.net/program/program-1047/

『燃え上がる記者たち』はインド北部にある、女性記者だけによって立ち上げられたニュースメディアの活動を記録しました。伝統的な家父長制の観念と戦いながらSNSという「ニューメデイア」を駆使してジャーナリズム活動を行う女性記者たちのパワフルな日常を描いたこの映画は、女性の権利と社会進出、インド社会における権力闘争、宗教、ジャーナリズムの責任など、様々な議論を引き出すことができました。

『反骨のドキュメンタリスト』上映後トークイベント

『反骨のドキュメンタリスト』は、ディレクターの鈴木あづさが1963年に日本テレビの「ノンフィクション劇場」枠で放送された大島渚監督の『忘れられた皇軍』という番組を見て衝撃を受け、作られた番組だという。鈴木ディレクターはこの番組の制作者と関係者にインタビューを実施し、番組の内容と当時の状況を振り返り、今のテレビは何を映しているのか、何を映すべきなのかを問いかけました。

実はこの2つの作品には、意外な共通点がありました。それは、2作品ともにスクリーンの裏側にある、制作者=作り手の姿が捉えられたことです。

記者やテレビ番組の制作者は通常、記録する側としてカメラの裏側にいます。そのため、彼らの活動が記録されることは少ないです。しかし、作り手自身の状況や彼らが置かれていた環境などは、番組の内容と深く関わっています。カメラの裏側の状況を知ることによって、作品の内容についてもより深く理解することができるかもしれません。

『反骨のドキュメンタリスト』上映後、番組ディレクターの鈴木あづさ、映画監督/テレビ制作者の是枝裕和、大島渚の息子でドキュメンタリー監督の大島新によって、トークイベントが開催されました。『忘れられた皇軍』と大島渚についてだけではなく、たとえば、「NNNドキュメントの枠の競争が激しかった」という制作側のエピソードや、テレビにおける「匿名性」など、幅広い議論が行われました。

制作者によるトークイベントの開催によって、テレビ番組制作の裏側を少し見ることができますが、その活動について十分に知ることはできません。もちろん、有名な映画監督やテレビ制作者は文章や著書などを通じて、その制作活動を記録することができますが、作り手、特にテレビ番組の作り手は多くの場合、その「匿名性」が強調されています。そのため、多くの制作活動はほぼ不可視のままです。自分の研究と関係していて恐縮ですが、テレビの裏側にいる作り手とその制作活動に焦点を当てるような研究は、これまでと異なる視点からテレビというメディアの歴史を捉えることができると思います。

今回はもう1つ、『理大囲城』も見たかったですが、チケットが取れませんでした。丹羽研究室の森田さんが去年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加された際に書いたフィールドレビュー(2021年11月9日)に、『理大囲城』についてのコメントがありました。森田さんのコメントを見て、これはきっといろんな意味で面白い映画だなと思って、是非見たいと思いましたけど、今回は少し残念でした。また何らかの機会で見られるといいです…