ヒーローと言う勿れ

こんにちは。今回のフィールドレビューを担当します。修士課程の小玉です。みなさん、『ミステリと言う勿れ』という少女マンガをご存知ですか。小学館の『月刊flowers』で2018年から連載されており、今は実写ドラマが地上波放送中です。『BASARA』(1990-1998)や『7SEEDS』(2001~2017)といったサバイバル長編などを手がけてきた田村由美による作品です。物語の舞台は現代の日本で、警察でも名探偵でも天才科学者でもない、一大学生、久能整(くのうととのう)が、次々と事件の謎を解き明かし、解決へと導いていきます。以下、『ミステリと言う勿れ』および田村由美作品の魅力について書こうと思います。

『ミステリと言う勿れ』の主人公、久能整くんは、モコモコの癖毛にモコモコのマフラー姿がデフォルトの青年です。シャーロック・ホームズ並みの洞察力と豊富な知識や教養があるにも関わらず、ボリューミーな癖毛にコンプレックスを持ち、初詣やクリスマスといったイベントに参加したことがなく、家にくるのは友達ではなく警察官で、事件に巻き込まれては大学のテストやレポート提出を逃します。工藤新一や湯川学のようなカリスマ性を持たず、いわゆる陰キャで残念な側面が愛くるしいところが彼の魅力です。

そして、謎解きの合間に久能くんは「常々思っていることがあって」と彼の持論を語り始めます。これがとても面白く、整くんは社会で当たり前とされている考え方への反論や対案を繰り出していくのです。写真の単行本の帯に「『名言が刺さる』とTwitterでも話題沸騰!」と書かれています。おそらく多くの読者に刺さっている「名言」はこの整くんの持論だと思います。私も刺さったひとりです。「真実は人の数だけあるんですよ」、「人間が三種類いたらいいなあと」、「ゴミ捨てどこからですか」など、単行本のエピソード間のおまけページには、これら「名言」の数々が平仮名でかるたのように並べられています。

もちろん、謎解きそれ自体も二重、三重と複雑なもので、予測不能な展開も読み応えがあります。『名探偵コナン』の青山剛昌も注目!といった帯も本屋で見かけました。

これらに加え、私が『ミステリと言う勿れ』および田村由美作品に感じる魅力は、「ヒーロー」へのアンチテーゼが描かれていることです。たとえば、『ミステリと言う勿れ』の最初のエピソードです。このエピソードでは、薮(やぶ)警部補が自分の妻子を轢き逃げした犯人への復讐のために殺人事件を起こし、整くんに罪を着せようとします。整くんが復讐のトリックを見破り、薮さんは、妻子も喜んでくれる、悔いはないと勇ましく逮捕されに行きます。しかし、格好良く刑事人生を絶とうとする薮さんに対し、整くんは「復讐は楽しかったですか」と奇襲をかけます。仕事の時間を投げ打って妻子のための復讐をしたというけれど、生きているときに仕事の時間を投げ打って妻子のために何かを尽くしたことはなかった、だから自分が子供なら喜べない、と整くんは言います。仕事も復讐も向かうベクトルは同じで、妻子のためでもなんでもなく、自己満足の行為でしかないのです。このように整くんは、ダークヒーローとでも呼べる薮さんを、ただの罪人として評します。

田村は、ほかの作品でも「ヒーロー」規範を尽く追撃します。『猫mix幻奇譚とらじ』(2006~)では、人々のために人喰いネズミと命をかけて戦う王の兵士パイ・ヤンは、王や民衆にとって「勇者」として崇拝されています。しかし、家で待つ妻子にとっては、自分たちを見捨てた人間でしかありませんでした。『BASARA』では、主人公の敵である王の側近、四道(しどう)は、王に命を捧げると言います。しかし、婚約者の千手(せんじゅ)は、死ぬことはえらくない、銅像が建っても嬉しくないと訴えます。そして、こう言いました。「英雄になんか、ならないで下さい」。

このように、田村作品では「ヒーロー」像が尽く打ち砕かれていく様が描かれます。これに対して、たとえば、家族の無償のサポートを享受して成功するサラリーマン、本土に恋人を残して突っ込む特攻隊、戦いの果てに自害、殉職する警察官や、正義を貫いた記者や官僚をヒロイックに描き、妻や恋人が涙を流し、事件の被害者が感謝する、というシーンが描かれる作品は数知れません。たいてい、かっこいい俳優やキャラクターが涙腺崩壊のアクションを繰り広げ、聴衆はカタルシスを感じることでしょう。

しかし、田村作品では「ヒーロー」をシンボルとして表象することにカタルシスを見出しません。彼らは「ヒーロー」である以前にひとりの人間であり、大切な人がいます。その偉業と引き換えに苦しむ者がいて、その死によって報われる者はいないということが描かれます。つまり、犠牲も承知で真実の正義を信じ、戦う「ヒーロー」像を当たり前としてきたマッチョな社会への痛烈な批判が、田村作品にはあるのだと考えられます。整くんもまた、事件解決が彼の社会的名声に繋がることはなく、讃えられるどころか、授業の単位を落とす危機に直面します。決して「ヒーロー」にはなりません。整くんの主張や彼自身が読者の支持を集める現状は、いわば、そうしたマッチョな社会に対する人々の悲鳴が反映されたものだと捉えることもできるでしょう。

出典:フジテレビ『ミステリと言う勿れ』トップページ(https://www.fujitv.co.jp/mystery/introduction)

さて、現在、月9ドラマとして放送中の『ミステリと言う勿れ』ですが、整くんをあの菅田将暉が演じるということで、整くんにカリスマ性が出てしまうのではないかと個人的には危惧しています。ただ、第2話まで視聴したところ、マンガの整くんの愛くるしさそのままに演じられていたように思います。それでも、演出に若干の疑問を抱く点はあります。また、現実に放火事件や殺人事件が多発している昨今、不特定多数の人が目にするテレビという媒体で、本作のような内容のものが放送されることについて、悪い影響が出てしまわないかも危惧されます。配信ドラマとは違い、チャンネルを切り替えれば、あるいは同居人の誰かが見ていればふと目に入ってしまうのがテレビの面白いところであり、怖いところです。今後、ドラマ、マンガがどう展開していくのか、注目したいところです。

ちなみにマンガを読んだ私は、美味しそうにカレーを作る整くんに影響され、その日の夕食にカレーを食べました。みなさんも、ぜひ。