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修士論文提出を終えて

作者: Ito Shuji | 2013年2月06日Posted in: フィールドレビュー

こんにちは。M2の伊東です。ご報告が遅くなりましたが、どうにか無事に修士論文の提出を終えることが出来ました!今回のフィールドレビューはこの件についてお話ししたいと思います。

前回のフィールドレビューでもお伝えしましたように、私の修士論文のテーマは「中京広域圏」における民放テレビネットワークの伸長という具体例を通じて、民間放送、その中でもテレビ放送におけるネットワークの形成史を地方局の視点に立った形で捉えてみよう、というものでした。

その後、タイトルは『中京広域圏における民間放送ネットワークの形成史 ~「分断」と「集権」の挟間で~』と決まりました。この論文において大きな仮説として掲げているのが、「分断」――有力者達の放送企業設立を巡る「分断」――と「集権」――東京中心の放送ネットワーク形成による中央=東京への「集権」のみならず、各地方における経済的・文化的中心都市への「集権」という要素も併せ持つ――という動きが繰り返された結果が現状の民放ネットワークを生み出しているのではないか、ということです。

さらにその背景には,放送業界のみならず、その大口の出資者であり経営的指導者でもあった各地方における政官財各界の有力者や有力企業などの半ばプライベートな人脈や、多分に私心を含んだ思惑が密接に関与しているということも、併せて仮説として掲げています。

論文は、全6章で構成され、本題の「民間放送ネットワークの形成史」に関する論述は、第2~4章で行っています。まず第2章では、前史的な話として、大正末期の「名古屋放送局」の設立に関する話題を論じています。ここでは、当初民放局として作られるはずだった東京・名古屋・大阪の各ラジオ局の設立に関わった人々が、後に戦後の民放草創期にも登場するという連続性について考えています。

続く第3章では、「民放第一号」のCBCが、名古屋を中心とした中部地方における放送ネットワーク形成を模索した草創期から、テレビ普及期の到来、第2局の東海テレビ開局などもあって、次第に東京中心のネットワーク化へと傾き始める時期について論じています。

そして第4章では、東京中心のネットワーク構造が定着していく中で名古屋テレビと中京テレビが起こした、番組ネットの比率を巡る紛争について論じています。この章こそが、先にお話ししたこの論文の仮説について論じる上で特に重要なトピックになっています。

以上のような論述を経て結論、となるわけですが、ここからは反省を述べなければなりません。この論文は、民放ネットワークの形成史を地方の視点から考える上で、重要と言えそうなトピック、いわばタネを選別するところまでは進んだものの、それらを畑に蒔いて育てること、即ち論点を的確に整理して理論的にしっかりとまとめ上げるという段階まで満足に到達できたか、といえば、残念ながらかなり不足の多い状態のまま提出日を迎えてしまった、という感が否めません。私は今春就職し、これからも放送業界にかかわっていくことになりました。それだけに、この論文執筆の後に残った問題は、これからの私の人生に課された大きな宿題になったと考えています。

何やら話が壮大な感じになってきてしまいましたが、今回はこのあたりで終わりとしたいと思います。最後までお読み頂きありがとうございました。