「文化庁メディア芸術祭25周年企画展」に行きました!

こんにちは。今回のフィールドレビューを担当いたします、馬琳です!先日、「文化庁メディア芸術祭25周年企画展」(以下、企画展)に行きました。

文化庁は平成9年度(1997年度)からアート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門における優れたメディア芸術作品を表彰するための「文化庁メディア芸術祭」を開催してきました。また、メディア芸術の創造と発展を図るために、国内や海外で受賞作品の展示会、上映会を継続的に行なってきました(企画展のホームページを参照)。

今回の企画展では、過去25年の受賞作品の中から、「社会やテクノロジーの変化、メディア芸術の表現の多様性を感じられる」50作品が選ばれて展示されました。アニメーション部門の展示作品の中には、『時をかける少女』(第10回アニメーション部門大賞)、『聲の形』(第20回アニメーション部門優秀賞)、『この世界の片隅に』(第21回アニメーション部門大賞)などの広く知られている作品があります。

また、デジタルアート部門では、第3回の大賞を受賞したエンターテインメントロボットAIBO(ERS-110)が展示されました。ペットロボットは以前聞いたことがありますが、今回は初めて実物を見ました。ロボット犬の頭を撫でると、動物のように反応してくれました。現在、人工知能が搭載されたロボットは多様な分野で普及しており、人間と暮らして、日常的に会話できるような家庭用AIロボットも多く登場しました。20年前に開発・販売されたエンタテーメントのためのペットロボットはどんどん身近なものになりつつあるような気がしました。

企画展で最も印象深かったのは、『(不)可能な子供、01:朝子とモリガの場合』(第19回アート部門優秀賞)と『Braun Tube Jazz Band』(第13回アート部門優秀賞)です。

『(不)可能な子供、01:朝子とモリガの場合』は、ある実在する同性カップルの遺伝情報に基づいて出来うる子どもの外見、生活の習慣などを予測して、それをもとに家族写真を制作した作品です。もちろん、現在の技術では同性カップルの間に子どもが生まれることは不可能です。このような技術が開発されても、倫理的には問題も大きいでしょう。とはいえ、少なくとも「(不)可能な子供」の誕生を想像することは許されるのではないでしょうか。そして、芸術や技術はこの不可能な物語を構想することを可能にしたと言えます。

『Braun Tube Jazz Band』は、作者の和田永が現在「ゴミ」として処分されるブラウン管テレビを楽器として演奏するパフォーマンスです。私が行った日に、和田氏による演奏会は行われなかったため、「ブラウン管テレビ音楽」をライブで聞くことができませんでしたが、会場では、和田氏が複数のブラウン管テレビを並べて、手で画面を叩く映像を見て、パフォーマンスの大体の様子が伺えました。かつてテレビ番組放送のためのメディアとして使用されていたブラウン管テレビは、技術の発展により、もともとの機能を果たせなくなりました。しかし、楽器として新しい機能が付与されて、全く新しいメディアになって、とても実験的な試みでした。

上記の二つの作品をきっかけに改めてテクノロジーと人間の関係を考えました。人間が想像できても倫理的に実現不可能なことはテクノロジーを通して表現できるようになります。一方、テクノロジーが急速に進展しつつある中、「捨てられた」テクノロジーのポテンシャルが、人間の創造力によって、発揮されるようになります。テクノロジーは人間の想像力・創造力を拡張すると同時に、人間の想像力・創造力は古いテクノロジーに新たな活力を注ぐと思いました!