夏休みに感じた「原爆観」たち

今回のフィールドレビューは修士1年の矢野がお送りします。私は広島・長崎への原爆投下に関する記憶の継承について興味を抱き、長年原爆を巡ることを扱ってきたテレビ・ドキュメンタリーについて研究しています。今回はそれに関連して、夏休みの間に感じた「原爆投下に対する捉え方」についてお伝えしようと思います。

8月6日、平和記念式典を見に広島市の平和記念公園に行きました。私は広島出身ですが、それまで式典はいつもテレビ中継を通して見ていました。生で見るのは初めてです。

どこからか聞こえ続ける、平和を願う歌の合唱や、暑い中次々と訪れるたくさんの人々。木陰に座って何かをメモしたり、考え込んだりしている人もいました。もちろん、報道のためにたくさんのカメラも構えられていました。報道の中心は演説など式典内の状況であり、式典を周りから見ている人といった情景には基本的にカメラが向きません。初めて生で見て、「カメラの外側にもこんなにたくさんの人がいたのか」と驚きました。そして人々が思い思いに「8月6日」を迎え、平和を祈ったり真剣に考えたりしていることをより実感しました。

同時に、広島県のある職員さんが何かの機会で「広島への原爆投下について本や映像などでたくさん勉強した人でも、平和記念公園を訪れて初めてわかることがある。まだ来たことがない人に、ここへ来ようと思ってもらい、来てもらうことが自分の目標」と仰っていたことを思い出しました。私は平和記念公園に何度も来ていますが、式典に足を運ぶことで「8月6日」当日の様子を一部初めて知ったため、納得しました。

この経験に刺激を受け、なんとか自分の研究を発展させていこう!と決意し直した私は……

次の日からウズベキスタンに出かけました。余談ですが写真はブハラという都市の「カラーン・ミナレット(大きなミナレット)」です。

少し話が逸れるのですが、私は卒業論文をロシア帝国に関するテーマで書いており、もともとロシアやその勢力圏にも興味があります。研究とは全く関係なく、ただ観光するつもりでウズベキスタンに行きました。しかしそこで、「原爆投下に対する捉え方」に衝撃的な形で出会うことになったのです。

ウズベキスタンでは現地のガイドさんが、サマルカンドなどの観光地を丁寧に案内してくれました。ある日の移動中、ガイドさんが2000年代に日本に留学した思い出を話し始めました。

「最初、日本についたとき、嗅いだことのない変な匂いがしたんですよ。私はそれが広島と長崎に落ちた爆弾のニオイかな~なんて思っちゃったんですよね。そしたら海の匂いだったんです!」

ウズベキスタンは内陸国のため、日本で海の匂いを初めて嗅いだ、という話でしたが、一緒にいた日本からの観光客は凍りついてしまいました。ガイドさんを批判するつもりはありませんが、日本語を勉強しようと志す若者に、2000年代に、「日本では『広島と長崎に落ちた爆弾』のニオイがするかもしれない」と思われていたことが非常に衝撃的でした。そして、日本に住み多少なりとも日本の文化に触れた人に、「広島と長崎に落ちた爆弾」が、笑い話をする流れで用いられたことにも驚いてしまいました。

繰り返しますが、このガイドさんを批判したいわけではありません。また、ウズベキスタンでの原爆に対する認識は上記の通りだ、と言うつもりも全くありません。しかし、私は、日本では「忘れない」「繰り返させない」「考え続けよう」といった言葉で語られることが多い原爆投下が、決して他の国でも同じ傾向で捉えられているわけではないことを改めて思い知らされたのでした。