今回のフィールドレビューは、博士課程の王が担当いたします。先日スカイダイビングとその撮影を体験してきました。
先日、ハワイのオアフ島でスカイダイビングを体験しました。14000フィートからフリーフォールしながら、一緒に落下したカメラマンに笑顔でポーズをするのです。フリーフォールの無重力状態のせいで体中に絶大な恐怖を感じた私は、指示に従い、落下中にちょうど私の下に位置するカメラマンのヘルメットに付けたカメラを見ながら、インストラクターとカメラマンと相互に話していました。これによって、フリーフォールから生じる恐怖感が、まるで夢のように、ハワイ上空に舞い上がっている興奮感とオアフ島の風景を直後に鳥瞰できる期待感へとどんどん変化していきました。「もう一回やりたい!」、そんな気持ちにさせてくれる非常に楽しい経験でした。
恐怖感を解消させるために視線がほぼ強制的にカメラと風景に集中させられること、耳からインストラクターの説明が流れることや手と足の姿勢がインストラクターに指導されることなどという、視覚、聴覚と触覚的に身体が管理されることを通して、私の感覚ひいてはスカイダイビングに対する認識が一変しました。あの状況でふつうであれば得ることのむずかしい「楽しさ」を、感じることができたのですから。
身体を管理することで予想の感覚と受容へ変換させることは、現在流行しているVR(仮想現実)技術にもよく見られています。この7月に東京にあるVR体験のスポットで、スカイダイビングと類似する体験をしました。化物による大量殺人をテーマとするVRの設備は、空気の流通が悪い半密封の狭い部屋、ヘッドホンやメガネと変速ギヤからなっています。そのVRの空間の中で視線を指示方向に向けないと行動できません。最初目で見た画面のリアリティが“イマイチ”だったため、恐怖感や緊張感など一切ありませんでした。しかし、VRの物語が進むとともにメガネの度数の自動調整が発生したようで(barfogenic zone)、めまいと吐き気、そして息苦しさが強く感じられるようになりました。椅子に固定され、動けなかった体とともに、恐怖感がすぐ高騰してきました。
このようなVR技術はエンタテインメントだけでなく、最近ジャーナリズムとしても応用され始めました。たとえば、現在衛生知識の普及をテーマとするVRが、従来の記録映画を代替する一方、オーディエンス(ユーザー)はそのVRの空間の中で、物語の参加者として衛生知識の応用の仕方を習得できます。また、時事ニュースが伝わるVR空間では、オーディエンスがまるで事件の一員のように、当事者と一緒に事件を再体験できます。
しかし、前述したように、VRは没入的な環境を通して、オーディエンスの身体を管理し、VRの製作側に予想される感情・感覚を喚起させることで、その受容もある程度コントロールできるものだと言えます。このような共感覚体験を実現できるVR技術の特徴が、公平性や中立性などの使命をもつジャーナリズムといかに共存できるかというのは、発展途上にあるVRジャーナリズムに問わなければならない問題ではないでしょうか。