「次の文章を読みなさい」展をみて

今回のフィールドレビューは、研究生のジンが担当します。昨年、韓国で観覧した【次の文章を読みなさいHUMAN SCALE】という展覧会について、少しお話ししたいと思います。

【次の文章を読みなさい】展は、2014年の韓国で最も注目を集めた展覧会の一つでした。人文学博物館の所蔵品の一部を用いて再構成したアーカイブ展示で、20世紀の韓国で生産・流通した書籍や文書資料を通じて、韓国社会の近代化の過程を辿ることを試みるものでした。

次の文章を読みなさい

(…)この百年の間、我々の生き方や価値観が息つく間もなく変動してきた流れを示す古い本が、一時的に博物館の秩序を脱して展示空間に広がる。20世紀は、本が貴重で強力な力を持ち、それが故に時には危険なものとされる時代であった。本は理想的な人間と社会のかたちを模索する道具であると同時に、大衆的な娯楽として当時の実像と幻想を反映する斜めの鏡でもあった。博物館の遺物として残されたこの本や印刷物は、「観客」と「読者」という二重的な位置、「観る」と「読む」という行為の交差の中で現在の時間へ帰還してくる。ここによみがえった様々な文章は、これから読むことになる「次の文章」の空欄を描いてみせる。

展覧会は、<モダニティの並行宇宙><人間の生産><おかしな鏡たち>という三つのセクションで構成されていました。

一つ目のセクション<モダニティの並行宇宙>では、1940年代から1980年代までの近代化の様態を個人の人生に焦点を当てるかたちで見せるために、二人の仮想の主人公が設定されていました。一人は1930年代前半に生まれたソウル出身の人間、もう一人は1960年代前半に生まれた農村部出身の人間。子供の頃から一定の年齢まで、二人が接したのであろうイメージやテキストが、展示空間に配置されていたのです。

それ以外にも、多種多様な世代・階層をもつ15人のライフヒストリー(1895年生まれの元法務部大臣から、1910年代後半生まれの匿名の農夫、1932年生まれのアーティスト・ナムジュン・パイク、1959年生まれの匿名のトランスジェンダーまで)がオーディオブックのかたちで置かれていました。さらに、「モダニティ」に対する当時の反応や考察を見せる1950年代~1980年代の重要な20のテキストも印刷物で配布されており、観覧者が持ち帰ることができる設えとなっていました。

次のセクション<人間の生産>は、人間の生産という観点から見た近代の教育理念とその変化をテーマにしていました。教育は未来のための企てでもあるため、各時期の教育理念は(理想の)人間像とそれを前提とした社会像を見せてくれます。日本帝国主義時代にハングルで書かれた『農民讀本』から、軍部独裁期の『国民教育憲章讀本』まで、それらを通じて、学生、軍人、サラリーマン、知識人、農民、公民、市民、国民などがどのように作り上げられたのかを描き出していました。

最後のセクションである<おかしな鏡たち>は、過去の破片とも言える様々な物を再構成し、過去の多様な「現実」や場面が覗き見えるものとして設えてありました。女性誌の表紙、合奏のための楽譜、1945年朝日新聞が制作したチラシ、在韓米軍のアルバム、牧師に転向した北朝鮮スパイの声などから、色々な時代状況を想像してみることができました。

観覧を終え振り返ると展示そのものはそれほど大きな規模ではなかったのですが、一つ一つの資料が盛り込んでいる話とそれらが置かれている文脈が多層多様で、30分で回ることも出来、何時間もかけて観ることも出来るような展覧会でした。

配置されたテキストやイメージから、20世紀韓国の近代化過程を「生きた」個人たちの非均質な経験が、いかに世代・階層などの集団的アイデンティティの形成につながったのかが見えてきました。そしてそれが全体像として、まるで星雲のように「モダニティの宇宙」を構成する場面をかいま見た気がします。