「ラバー・ダック」の思い出

今回のフィールドレビューはM1の王が担当させていただきます。最近巨大のアヒル「ラバー・ダック」が全世界範囲で話題になったことについて、すこしお話したいと思います。

夏休みの台湾一周の旅行の間、高雄市でテレビ報道から、コンビニの記念品販売までラバー・ダックを迎える盛況を体験しました。ラバー・ダックが高雄に登場した1ヶ月に390万人の参観客が足を運んで見に行きました。高雄港の風景を一体化したこの巨大アヒルは高雄市に巨額の商業収入をもたらすだけではなく、人々の子どもの頃の思い出を喚起させたと言われています。ラバー・ダックは台湾の高雄だけでなく、北京や大阪などの都市で登場する時、地元が完全にお祭りモードに切り替わり、賑わってきたそうです。


ラバー・ダック於高雄


ラバー・ダック於北京(吉見研のPanちゃんからの写真)

制作者オランダ人の芸術家、ホフマン氏が、「年齢や人種に関係なく、子供の頃の記憶や、思い出を思い起こさせ、幸せや喜びの象徴としてのラバー・ダックを通して、国境を越えて愛や友情を届けるとともに世界を一つに出来る」と、このパブリック・アートの趣旨を説明しました。

この巨大のアヒルは一種のパブリック・アートとしてグローバル化の先頭に立って、自由的な商業資本の流入流出のように世界各国に進出したり、騒動を起こしたりしています。各地に同じようなブームが生じてきて、まるでラバー・ダックを通して、各国のお風呂のラバー・ダックに対する思い出の一体化が本当に実現され、ホフマン氏の話が裏付けられたようです。しかし、国と国の間に必ず境界線が存在するため、グローバル化が単なる「小異を残して大同につく」の手段であると同じく、ラバー・ダックブームの背後に潜在する思い出も同質なものではないでしょう。

ラバー・ダックの参観者が子供の頃本当にお風呂の中で黄色いアヒルと一緒に遊んだことがあるでしょうか。もし黄色いアヒルがなければ、なぜ黄色いアヒル経験がある人と一緒に、現在のラバー・ダックに「懐かしさ」がでてきたのでしょうか。この「懐かしさ」は多分子供時代の体験だけでなく、子供時代から「お風呂の中の黄色いアヒル」というイメージに触れてきたことも意味すると思います。なぜかというと、やはりテレビに伝えてきた欧米家庭生活のイメージが広範囲で受容されたからです。テレビといったメデイアに伝えられたイメージと自らの体験をはっきり区別できなく、全部自らの思い出として認識し、全世界と一緒にラバー・ダックの記憶を共有するようになったのが、ラバー・ダック大人気の一つの理由ではないでしょうか。

メデイアに伝えられる情報を受け入れることは知識の汲み取りになるより、時々頭の被植民化になる場合も少なくないと考えます。テレビに描かれた「お風呂の中の黄色いアヒル」を見て、自分もそういう体験を持っていると思い、ラバー・ダックブームに飛び込んだりすることや、ある学者の論点が素晴らしいと主張する本を読んで、批判的に考えたこともなく、自分も同じく素晴らしいと思ったりすることなど、情報爆発の現代社会ですでに独立思考を失い、他人の考えを自分の考えとして使いながら意識していないのは、よく見られることではないでしょうか。

ラバー・ダックは幸せや喜びの象徴なのか、それとも普通の巨大のオブジェクトなのかについて、人ごとに異なるべきですね。