音をデザインする

こんにちは。今回のフィールドレビューはM2の湯浅が担当します。なんとか提出した修士論文、本当に色んな方に助けていただき感謝しかありません。本当にありがとうございました。

修士論文では、音のメディアであるラジオのドキュメンタリーを沢山聴いていたので、音と記憶の関係性ということを考える良い機会になりました。もちろん五感に響くものというのは全てが記憶に繋がるので、音(聴覚)と記憶に密接な関係があることはみなさん言わなくてもご存知でしょうが、そのことを意識して音を扱っている人がどれほどいるのだろうかと、研究していく中で感じました。

普通に生活していても「あれ?この音何だっけ?」と、ふと懐かしくなる音や音楽というのがあって、それは同時代を生きた人、同コミュニティーで生活している人同士で共有できるものであったりもします。例えば私にとっては、ドボルザークの「新世界から」がそんな音楽だといえます。これは実家の裏にある高校で夕方5時に必ず流れていた曲なのですが、隣の家の犬が必ず一緒に遠吠えをしていたので、頭の中で「新世界から」と犬の遠吠えがシンクロしてしまいます。きっと私の実家両隣5軒くらいの人たちの脳裏に、このシンクロが焼き付いているのではないでしょうか。しかし同時に考えるのは、こういう音というのは、ニュートラルだったり良い記憶と結びついていたりすればいいのですが、それが嫌な記憶と結びついている場合があるということです。音の大きさや場所によっては避けることが出来なかったり不意打ちだったりして、喚起される記憶を止められない場合もあるだろうと思います(視覚的なものは、見ないと言う選択肢を取りやすいように思います)。そして、その割には視覚的なものに比べて聴覚は軽んじられている傾向があるようにどうしても感じてしまいます。

なんだかそのようなことを考えて、「記憶と音」をテーマにいろんなものを探してみました。

探しはじめると、音と記憶が密接に結びつく場面は日常にけっこうあります。たとえばJR恵比寿駅の発車音。あの音楽=エビスというイメージを作り上げたのは広告会社で、もとは「第三の男」というクラシック映画のテーマ曲です。同様に新橋駅では「ウイスキーがお好きでしょ」が流れたりしますよね。他にも、広瀬香美さんの楽曲「ロマンスの神様」もテレビCMによって冬の曲とみんなに思われています。「ロマンスの神様」は全くもって冬の曲ではありませんが、これを聴くとスキーに行きたくなる日本人は多いと思います。CMは一方的に何度も流れてくるので、記憶に定着しやすいのでしょう。他に記憶に働きかける音、音楽でよく例に出るのは、閉店時に流れるあの曲です。あの曲が流れると、ああ閉店かと足が出口に向かいますよね(ちなみに、あの曲のタイトルは「蛍の光」ではなく「別れのワルツ」といいます)。このように「記憶と音」は、生活とも密接に関わっています。

休憩所に癒しの音楽を流したいから作って欲しいという依頼が、ミュージシャンでもある私の元にはたまに来ます。そんな時に身の回りを見渡すと、休憩所の音楽としてすごく安易に音が選択されているなと感じます。テレビ番組のBGMも同じです。特定の記憶を想起させる楽曲(映画やドラマの曲など)をまったく関係のない番組のBGMに使用していることはよくあります。例えば先日も、殺人事件のニュースの後ろで、刑事ドラマの楽曲が流れていました。なんだか安易だなという印象です。ドラマや映画と違い、ニュースやドキュメンタリー番組は、テーマ曲以外でその番組のために特別に楽曲を作るのは時間的にも予算的にも非常に難しいと思います。しかし、あまりにも特定のものを想起しやすい音を使用する時は、一度立ち止まって考えて欲しいなというのが正直なところです。

話があちこちいってしまいましたが、私が言いたいのは、番組で使用する音や音楽と、街に流れる音や音楽は、コミュニケーションの大事なツールであることをもっと感じて欲しいということです。日常生活で聞こえてくる様々な音を、もっと「ちゃんと」デザインできる世の中になって欲しい。特に、丹羽研究室はメディア研究や映像分析をする人がほとんどですが、何が見えるかと同じくらい「何が聞こえるか」を、メディアを研究する人間として大事にして欲しいと思います。私は大学院を修了して研究室を出てしまいますが、修了後は、都市計画に音デザインを!サウンドスケープを!とまで大きなことは言いませんが、音を大切にするということを色々な人に伝えていきたいなと考えています。