博士課程の飯田です。新年早々、世の中もメディアも暗い話が多いようなので、脱力系の話をひとつ。日本人にしかわからない話かもしれず申し訳ないのですが、今回は昨年夏に行った「結成60周年記念ザ・ドリフターズ展」について報告したいと思います。少し古い話にはなりますが、何卒ご勘弁を。イベントは今も全国を巡回中(イベントのホームページによると、3月から静岡、4月から北海道で開催予定)です。
ザ・ドリフターズは1962年、碇矢長一(いかりや長介)がロカビリーバンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に加入したことから始まります。しばらくすると、いかりやがリーダー代行となり、バンド名は「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に。その後、当初のメンバーが脱退するのと並行し、同じ年に加藤英文(加藤茶、ドラム)が加入。64年に高木友之助(高木ブー、ギター)、荒井安雄(荒井注、ピアノ)、仲本興喜(仲本工事、ギターの欠員補充?)が加わったことで、「ザ・ドリフターズ」が誕生します。
最初の頃はコミックバンドとしての活動が主で、66年のザ・ビートルズ来日公演(日本武道館)で前座を務めたことは有名。武道館をコンサートに使用したのはこれが初めてだったので、実はドリフは最初に武道館で演奏したバンドということになりました。
前座公演で注目を集めたドリフは、映画、テレビに引っ張りだことなり、68年1月にはゴールデンタイムで初の冠番組『進め!ドリフターズ』(TBSテレビ)がスタート。いよいよドリフの時代の幕開けです。ちなみに志村康徳(志村けん、ギター)がドリフの付き人になるのがこの年の2月で、正式メンバーになるのは74年です。荒井注の脱退がきっかけでした。
前置きが長くなりました。ドリフといったらやっぱり、『8時だョ!全員集合』(同)でしょう。69年10月4日に始まったこの番組はステージでの生放送で、そこらじゅうにたらいは落ちてくるわ、パトカーが走るわで、何が起こるかわからないライブ感が売りでした。志村に危険を知らせる「志村、後ろ、後ろ」という観客の子どもの叫び声が伝説となりました。私も、コントが切り替わる時に舞台がぐるっと回るのが面白かったことを覚えています。番組は85年9月28日まで803回続き、最高視聴率はなんと50.5%(73年4月7日、キャンディーズがゲスト)だったそうです。
イベント会場は当時の映像や写真、コントで使った小道具などでいっぱいでした。「そうそう、あったねえ」と懐かしがる来場者は多く、テレビの面目躍如といったところでした。個人的に驚いたのは、主演した映画のポスターや出したレコードのジャケットがそれぞれ20作品以上飾られていたこと。60年代が大先輩である「ハナ肇とクレイジーキャッツ」の時代だったとしたら、70年代はまさにドリフの時代だったと言えるでしょう。
大人の悲哀さを誇張したクレイジーキャッツの笑いと、素人っぽさが残るアクションギャグで押しまくるドリフの笑い。『TBS調査情報』1970年12月号に掲載された『全員集合』の分析記事では、クレイジーキャッツとドリフの笑いのスタイルの違いを社会の雰囲気の変化と重ねて論じています。
「クレイジーとドリフの違いはなにによるものなのだろうか。大胆な推論でいってしまえば、所得倍増で始まり、GNP戦争をたたかいぬいてきた六〇年代と、モーレツからビューティフルへ転換を余儀なくされた七〇年代の情況の変化と、それは無関係ではないだろう。カラーテレビ、マイカー、マイホームといった消費における自我実現というかたちで、民衆の欲求不満を体制的に組織し、高度成長を保ったのが六〇年代であったとすれば、七〇年代はマス的規模の欲求不満をどのように解消するべきか、その方途を模索しているというのが実情であろう」(71ページ)
AR(拡張現実)技術を使い、いかりや(黒)、仲本(赤)、高木(緑)の「雷様」コントに“参加”するコーナーなどを楽しみながら、気づいたことが一つありました。世代もあるんでしょうけど、私にとってのドリフは『全員集合』よりも『ドリフ大爆笑』(フジテレビ、77年2月8日スタート)だ、ということでした。
生放送だった『全員集合』とは違い、スタジオのVTRでコントをしっかりみせるのが『大爆笑』でした。とにかく好きだったのは、「もしも志村けんが居酒屋の店主だったら」みたいに、メンバー全員がひとりずつある役割を演じる「もしも」シリーズ。会場のモニターでは、銭湯に来たいかりやが、従業員に扮する他のメンバー4人から“過剰”なサービスを受ける名作「もしも威勢のいい銭湯があったら」(他の言い方もあるそうです)のコントが流れており、久しぶりに大笑いしました。やばかったです。
『大爆笑』のコントはVTRなので、相当作り込んでいるんだろうと思っていましたが、当時のディレクターいわく「絶対にワンテイクしかやらなかった」。失敗もすべて放送したとのことで、葬式のコントで棺桶に入った仲本が本当に寝てしまい、オチの一言を発声せずにいびきを響かせていた時も、「仲本〜〜」(いかりや)、「ゴメン、寝ちゃった」(仲本)のやりとりまで含めてオンエアしたそうです。VTRであろうとアクチュアリティを発揮することはできるんですね。ドリフのすごさに感じ入りました。
イベントを振り返って、一際強く感じるのは、なにはともあれ、テレビの「黄金時代」は過ぎ去ったということ。何をやっても許されたドリフの頃に戻ろうとするのではなく、テレビができることは何なのかを「みんな」と考えていくタイミングにきているように思います。テレビをめぐってさまざまな議論が巻き起こっていますが、その方向へと集約していくことを願ってやみません。
(敬称略)
参考文献
・「番組研究 8時だョ!全員集合」『TBS調査情報』1970-12: 66-71.
・「結成60周年記念 ザ・ドリフターズ展」公式パンフレット.