今回のフィールドレビューを担当させて頂きます丹羽研M1のリクと申します。日一日と暑くなって夏真っ盛りの気配が漂う中、学府での修士1年目の前期もいよいよ終わります。振り返ればとても充実した半年間でした。研究生の時期も含めると、日本での留学生生活はもう1年間半が過ぎようとしていますが、私はこの7月に、去年の4月以来ずっと住んでいる横浜の寮から引っ越すことになっています。
留学当初、私の個人的な都合で横浜に住むことになったんですが、私のように毎日横浜から本郷まで長時間通学をしている人は留学生の中にはなかなか少なくて、よくまわりから大変だねと言われました。ですが私は、通学路も横浜の都市も存分に楽しんでいるので、それが苦にはなりませんでした。
寮からベイブリッジのかかる横浜港が遠くに見え、貿易や観光旅行で港を出発し、また到着する汽船の音も時々響きます。このような活気横溢な港町の光景は、みなさんも想像に難く無いでしょう。週末には、よくみなとみらい沿線の一帯へでかけます。ただ歩くだけですがすがしい港の風、公園でのんびりしている人々、西洋風の立派な建物。横浜と同様に異国情緒が溢れる故国の上海の街がいつも思い出されます。
今年は横浜が開港してから154周年であり、また横浜と上海の友好都市提携は40周年を迎えています。これを記念して横浜開港資料館では、「上海と横浜 波濤をこえて―夢・汗・涙が都市をむすぶ」という企画展が7月初旬まで開催されていました。正直いって、私はこの企画展のチラシを見て初めて、横浜と上海が友好都市であることを知りました。いつもただただ自分の頭の中で一緒に思い出されていた2つの都市が、実際にも確かな歴史的因縁を持っていたことに驚き、感動を覚えました。
それでは、一緒に横浜開港資料館とこの企画展の様子を見てみましょう。
あかいくつバスが走っている横浜開港資料館の正門前の街。
現在、横浜開港資料館である建物は、当初、英国総領事館として建てられました。
正門のところにかかっている、なかなかノスタルジアが溢れている企画展のチラシ。載せている写真は1927年頃の上海バンドと1900年頃の横浜大桟橋の様子。
中に入ると、まずはたまくすの木を囲む中庭があって、小さいですがガス灯とベンチも設置されています。
中庭を一周すると、時間順に歴史のシーンを映す図ボードが並べられています。最初に目に入った「ペリー来航」の図にも、たまくすの木が描かれています。
旧館では、「横浜ノスタルジア」広瀬始親の追悼写真展がやっています。
現在、新館の方が実際に展示室として利用されています。常設展は、1階の「横浜開港への道」と2階の「街を語る―開化ヨコハマ―」の2つのテーマに分かれていて、写真、模型、史料などを豊富に取り揃えて横浜が開港以来たどってきた歴史的空間を展示しています。
「上海と横浜 波濤をこえて―夢・汗・涙が都市をむすぶ」が開催された企画展示室も2階にあります。今回の横浜と上海を題材にした展示会の内容は、
- 2つの開港都市の誕生
- つながる航路
- 東へ、東へ-欧米人の極東進出
- 横浜から上海へ-日本人商人たちの活躍
- 上海から横浜へ-中国人技術者たちの活躍(洋裁・ピアノ製造)
- 旅行記・案内記に見る上海と横浜
- 写された2つの都市
- 描かれた上海と横浜
と、8つのパートに分けられています。周ピアノや昔の上海で流行っていた日本の着物生地を使ったチャイナドレス、高杉晋作の「遊清五録」…生き生きとした展示物で歴史を身近に実感できる楽しい展示会でした。
残念ながら、展示室は写真撮影が禁止されています。ただ、横浜資料館のWebサイトには、今回の企画展も含めて展示品について詳細な紹介が載せられていますので、興味がある方は是非ご覧下さい(横浜開港資料館Webサイト http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/120/index.html)。
このようなの歴史の中で私が1番に興味を持っているのが、本土に外国人が暮らした場所、つまり上海の租界と横浜の外国人居留地です。20世紀の初頭に東洋で1番最初に近代化された都市である上海と横浜は、時代の流れの中で流入した西洋文化をローカル文化に取り入れ、また受容しながら近代化を完成しましたが、実際どのように当初の小さな海辺の町から国際都市へと変貌を遂げたのでしょうか。私はこの問題関心を持ち続けながら、残り1年間半の修士課程の中で少しでも理解を深めることができたら良いなと思っています。