「忘れられた皇軍」視聴レポ

2013年1月25日(金)、東京大学本郷キャンパス工学部2号館92B教室にて、テレビアーカイブ・プロジェクト第10回「みんなでテレビを見る会」が開催されました。今回は、「大島渚のテレビ・ドキュメンタリー」というテーマで、川崎市市民ミュージアムの濱崎好治さんをゲストにお招きし、大島渚監督が1960年代に制作した貴重なテレビ・ドキュメンタリーを上映しました。

同月15日に大島渚監督が亡くなったこともあり、当日は80名近い参加者の方々が集まりました。

上映作品の1つ目『忘れられた皇軍』では、日本兵として太平洋戦争で戦った韓国人傷痍軍人が、戦後は「日本兵でなくなった」ために軍人恩給の支給対象から外れ、戦後史の中で置き去りにされてきた様子を映し出したものです。傷痍軍人たちは、不自由な体で首相官邸や外務省、韓国駐日代表部などを訪れますが、願いは聞き入れられません。監督は、彼らの傷ついた身体にクローズアップしながら冷静に映し出し、ナレーションを通じて日本社会に彼らの置かれた不条理について訴えかけていました。

2つ目の作品『青春の碑』は、大島監督が初めて韓国取材を行なって制作した作品で、日韓国交正常化の前年の1964年に放送されました。1960年に李承晩政権を倒した学生たちと共に、国家の功労者として金メダルを授与された女性が、生活の困窮から売春婦となってしまいますが、朝鮮戦争の孤児を支援している男性に手を差し伸べられます。彼女の物語がラジオで放送され、人びとが同情し、その金で借金を支払うことができましたが、彼女は再び一人で生きていこうとするという話です。

これらの作品は、大島渚監督の初期のテレビ・ドキュメンタリーであり、彼が韓国やアジアに視野を広げていくきっかけとなったと思われます。

後半では、濱崎さんが、大島渚監督がこれらの作品を制作した際のエピソードについてご本人や周辺の方々にインタビューした内容などを交えてお話してくださいました。濱崎さんによれば、この「ノンフィクション劇場」のプロデューサーであった牛山純一氏が、大島監督に「作家性のある」番組に参加してほしいと言って仕事を依頼したのだそうです。

当時、なぜこのテーマが取り上げられることになったのかは、定かではないそうですが、牛山氏がよく新聞の切り抜き等を準備し大島監督に見せテーマについて提案などをしていたということです。映画とは異なり、テレビで毎週きまった枠で番組を作り続けるというのは大変なことでしたが、番組制作で使用するフィルムの量、取材量などは大島監督に一任されたそうです。大島監督は、牛山純一氏以外とテレビを作ることはあり得ないと後に語ったとのことです。

質疑応答の中で、大島監督のテレビ作品はどこで見ることができるか、と尋ねた方がいらっしゃいました。作品は、川崎市市民ミュージアムでも公開していますし、他にも、横浜市の放送ライブラリーなどで見ることができます。また、川崎市市民ミュージアムでは、春に大島渚監督の全作品上映会なども検討しているとのことです。