癒しの島・基地の島~オキナワ旅行日記~

みなさんこんにちは。修士2年の木谷です。いよいよ夏本番!素敵な夏休みをお過ごしですか??私は、しばし休暇を取り、沖縄に行ってきました。

今回は、沖縄市(昔のコザ)のホテルに滞在し、沖縄県北部を中心に観光しました。

沖縄北部、本部町という所にある「美ら海水族館」を中心に、名護パイナップルパークなど沖縄を満喫しました。

 

<美ら水族館>

ジンベイザメが気持ちよさそうに泳いでいます。

そして水族館を出ると目の前に広がるのは…エメラルドに輝く美しい海、真っ青な空。本当に<癒しの島>って感じですよね。

<美ら海水族館から望む海>

写真中央に島が見えているのですが、バスガイドさんがこの島の名を口にした瞬間私はハッとしました。そう、この島の名は、「伊江島」。数週間前に見たNHKのETV特集で取り上げられていた島だったのです。

<『日本人は何をめざしてきたのか 第1回 沖縄~”焦土の島”から”基地の島”へ~』2013年7月6日(土)放送>

この番組は、普天間と伊江島の人々の「言葉」を軸に、基地の島としての沖縄の戦後史を描いたものです。激しい地上戦、その後の収容所での生活から解放された伊江島の人々が目の当たりにしたのは、アメリカ軍によって建設された軍用滑走路でした。生活の基盤であった田畑は、ブルドーザーでしっかりと固められた土地に変化していました。

さらに、朝鮮戦争後、アメリカ軍による土地の強制収容が本格化していきました。こうした動きに対し、伊江島の人々は、抗議の声を上げましたが、結局、土地が還ってくることはありませんでした。伊江島は、今でも、島の35%を米軍基地が占めているのです。

このドキュメンタリーから見えてきたのは、「生きる土地を奪われた人々の悲しみや苦しみ」が込められた<基地の島>としての沖縄の風景でした。

私は、奇妙な感覚に襲われました。

目の前には、ガイドブックやテレビなどで描かれた<美しい癒しの島>としての「沖縄イメージ」を体現するような島が広がっている…。それしか感じることができない。けれども、この島は、単なる<癒しの島>ではなく、生きる土地を奪われた人々が、今もなお苦しみや悲しみを背負いながら生きている島なのだ…。

身体を通じて直接「見えること/感じること」と、メディアを通じて「見聞きしたこと/感じたこと」がうまく私の中では調和できず、ガタガタと不況和音を奏でていました。

メディアを通じて、遠い地域や遠い過去の事を「知る」ことはできます。ただし、それは時に、自らの<身体>を通して「知り/感じること」ができないという当たり前の事実にしばし愕然としてしまいました。