今回のフィールドレビューは修士課程の陳が担当します。最近見始めた『Veep』というアメリカのドラマについて少し話したいと思います。
『Veep』は HBOにて放送されているコメディショーで、先月シーズン4が終了したところです。そのタイトルが言うように、アメリカの副大統領と彼女のオフィスで働く人たちが主な登場人物です。毎回何かしらのハプニングが起きてその解決のために皆で奮闘するという一見微笑ましそうな設定ですが、実情は微笑ましさとは大分離れています。政治エリートたちなだけに権力志向的でほぼすべての人物が互いに嫉妬し競争し合うのです。チームとして一つの目標を共有してはいるが常に緊張感のあふれる場になっています。
©HBO(Home Box Office)
その複雑な権力関係の頂点に立つのが主人公である副大統領セリーナです。彼女は完璧な人間ではなくむしろ失言や変な行動などのミスでチーム・セリーナの部下たちを困らせることが多いです。しかしながら決して迷惑だけかけてバカにされるキャラクターではありません。地位の面でも性格の面でも誰よりパワフルです。彼女は政治家を職業とする人間として堂々と権力を追求し振り回します。印象的なのはこういったキャラクターを扱う作品のスタンスです。セリーナを血も涙もない怪物にするのでもなく、かと言って「いい人」に閉じ込めもしない。このショーは女性キャラクターを描く際に陥りがちな両方の罠を避けて進んでいきます。セリーナはショーの中で一番強く一番「bitch」だけど「So what!?」の態度を作品は取っています。
このようなセリーナのキャラクターがよく表現されたエピソードがあります。彼女はある日ボーイフレンドとのセックスで妊娠してしまいます。問題は彼女が保守派の政治家として公式的に人工妊娠中絶に強く反対する側であるとのことです。しかしこれは自分で計画していなかった妊娠なため、かつ出産・育児をするつもりもなかったセリーナは、しばらくして秘密裏の人工中絶を決定します。彼女にとっては合理的な選択だったわけです。
手術や回復のため秘書に日程調整を相談している途中、彼女はこう言います。「もし男が妊娠する世界だったら多分自販機でも人工中絶ができたはずよ。」攻撃的にも聞こえるこの言葉は、あれだけパワフルなセリーナでさえ女性の体を持って仕事を(特に政治界で)するというのがどれ程大変なことなのかを反証します。こういった身体的・心理的負担を感じながらも、彼女は身体に対する自己決定権――人工中絶のイッシュにおいてプロ政治家としては自分の口から出すことのない概念――に基づいて選択し、それと並行して自分の政治キャリアーにも配慮します。この一連の過程でセリーナは冷酷な鉄人に描かれることなく、また過剰な罪悪感や憂鬱に苦しむこともありません。
一人娘の母として(セリーナは離婚した夫との間で大学生の娘をもっています)の側面や妊娠エピソードで見えるように『Veep』はセリーナが女性であることを極自然と、そしてはっきりと表しています。その女性性が、男性(=人間)/女性という構造での「女性」キャラクターとしてではなく、ただの人間としての――「人間的」とは違う――女性キャラクターとして存在するのがこのドラマの見どころだと思います。興味のある方は一度ご覧になってみてください。とてもおもしろいですよ。