最近、テレビドラマって見ていますか?今回のフィールドレビューでは、修士課程で映像研究を行う瀬尾が、先日視聴したテレビドラマについてご紹介したいと思います。
テレビの視聴率は年々低下し続けていますが、その視聴率の測定方法には問題があるようです。例えばどんなに質の良い番組であっても、リアルタイムで見る人が少なければ視聴率に換算されず、世間的な評価は下がってしまう。質が良いからこそ録画する人もいるはずなのに、その点に関しては録画では広告効果には繋がらないとして見過ごされてきました。
しかし最近では、ビデオリサーチによって「録画再生率」(放送中に加え録画した番組を放送の7日後までに再生した人の割合)という新しい指標も調査されているようで、作品の評価をこれまでの視聴率に限定しないことによって、視聴者が本当はテレビにどれだけ興味を持っているか、本当はどのような番組が好まれているのかが、今後明らかになってくるかもしれません。
私個人は、気になる番組に対しては今でも、リアルタイムでいち早く楽しみたいというワクワク感を持ち続けています。今期のドラマでは『最高の離婚』(フジテレビ)を毎週欠かさず視聴しているのですが、2組の30代カップルの圧倒されるような会話劇が魅力的な作品で、登場人物の心情に共感することが多々あります。
中でも印象に残っているのが、旦那の浮気を知りながらも、見て見ぬ振りで良い女を装い続ける灯里の「みんな他人だから」という台詞。灯里は大学時代につき合っていた元彼から、強く憧れていたYUKIの曲について「何これ、花柄の安っぽい便座カバーみたいな曲だね」と言われ、歌手になる淡い夢を諦めたのだと語ります。そして次の言葉を放ちます。「誰が良いとか悪いとか、そんなんじゃないんです。誰かに取って生きる力みたいになっているものが、誰かにとっては便座カバーみたいなものなのかもしれない。みんな他人だから。別の場所で生まれて別の道を歩いて育った他人だから。」灯里は、結婚生活もそうやって割り切りながら続けているのです。
結婚、そして離婚が数十年前よりもお手軽な時代に、迷いながらも割り切って結婚生活を続ける現代人の微妙な感覚が、この台詞には反映されているように思えるんですよね。
さて、フジテレビのドラマでいえば、2005年に放送された『不機嫌なジーン』という作品をご存知でしょうか。このドラマは、動物行動学を志す虫好きの女子大学院生・仁子と権威ある動物行動学者・南原が主人公の少し異色なラブ・コメディですが、「諫早湾干拓事業問題」がストーリーの重要な構成要素となっています。朝日新聞の2013年2月19日の記事「干拓地の水門 『諫早会議』で解決を」にこの問題が取り上げられていたので、ふと思い出して先日視聴し直してみました。
ドラマの主人公2人は環境に対して異なる考え方を持っていて、仁子は「人間が動物を庇護し、共に繁栄する道を探るべきだ」という理想主義的な信念から干拓反対運動に興味を持っていきます。一方で南原は「強い生きものが弱い生きものを支配するのは当然で、それによっていつか人間が滅びるならばそれでも良い」という合理主義的な信念により干拓事業問題に背を向けていき、二人は次第にすれ違ってしまいます。
この2つの視点の他に、自分たちの海を守ろうと活動する漁師、生活を守りたくて干拓工事に参加する漁師などが登場し、干拓事業を複合的な視点で考えさせられます。またドラマの中には、1997年に水門が閉じられ外海と湾の奥が鋼鉄製の板で遮断された時にまるで「ギロチン」のようだと話題になった資料映像が差し込まれていますが、この映像の衝撃の大きさにもあらためて驚かされました。
先に挙げた朝日新聞の記事には、2010年に漁業者が国を相手取って行われた福岡高裁で今年12月が猶予期限とされた諫早湾干拓地の排水門の開門について、海の水質悪化を止めるため開門を支持する漁業者と、開門による農地への影響を心配する農業者の話し合いの環境作りを、政府や長崎県が努めるべきだと述べられています。事業が完成し2008年に干拓地で営農が始まったことや、2010年の裁判で上告をしなかった民主党政権からの政権交代などの影響もあって、事態はドラマ制作時よりも複雑化しているように思えます。12月までに状況がどのように変わっていくのか注目してみたいと思います。
さて、最終的にまとまりのないコラムになってしまって、研究活動紹介にも全然なっていないような気がしますが、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。現代人の感覚を上手くとらえた『最高の離婚』、そしてラブコメの枠に収まりきれない社会派な一面もある『不機嫌なジーン』をご紹介できて良かったです。視聴率は高くないかもしれませんが、テレビドラマってやっぱり面白いですよ!それではまた。