みなさんこんにちは。今回のフィールドレビューはM2の萩原が担当します。ようやく修士論文を書き終えて、審査も終了し、結果を待つだけになりました。論文を書くにあたってお世話になった皆様ありがとうございました。
審査では様々なご指摘をいただき、また研究に示唆的なお話も聞くことができました。そのような中で、雑誌編集者の重要性についてご指摘をいただきました。そこで今回のフィールドレビューは雑誌『世界』(岩波書店)の編集者であった、吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』(岩波書店、1982)について書かせていただきたいと思います。
私の研究は戦後日本の総合雑誌における平和思想の変遷を描き、思想が語られたメディアであった総合雑誌そのものについても考察を加えることを目的としました。総合雑誌『世界』と『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)を分析の対象として、戦後の平和思想とメディアの相関関係を明らかにしようと試みました。平和思想は総合雑誌というメディアによって支えられてきたとも言うことができ、思想の形成に対する総合雑誌そのものの重要性が確認できました。
雑誌編集者、とりわけ総合雑誌の編集者は雑誌における言論について大きな役割を持っています。編集者は単に寄稿される論考や小説を雑誌の中にまとめるだけではありません。彼らは取材や執筆という記者としての能力、更に情報を選択し、その情報を一つの雑誌の世界としてまとめ上げるという能力を必要とします。どのような情報を雑誌に掲載するのか、どのようなテーマで論考を書いてもらうのか、それを決めています。そこには世論や社会に関するバランス感覚が必要となります。編集者が雑誌の世界観を構成し、その中の言論を管理しています。こうしてみると、雑誌編集者の役割はきわめて能動的です。
そのような雑誌編集者の中でも、吉野源三郎は雑誌『世界』の初代編集長、後に岩波書店取締役となった人です。吉野は有能な雑誌編集者であったと共に、様々な著作を残した文学者であり評論家でした。彼は戦前から戦後にかけて反軍国主義、反戦という思想を持っていました。しかしアジア・太平洋戦争へと進む中で大きな反戦運動をすることができず、戦後の『世界』創刊号においてその後悔と反省を語っています。そのような吉野が出版した『君たちはどう生きるか』は、彼の思想を理解するのに示唆的です。
『君たちはどう生きるか』の原著は、山本有三が編纂した『日本少国民文庫』シリーズの最終刊で、1937年に新潮社から出版されました。出版された当時は、日々軍国主義的な様相が強まっていった時期であり、満州事変に始まり、盧溝橋事件が起こり、日中戦争が始まりました。そのような流れの中で、『日本少国民文庫』は国粋主義や反動的な思想から子供たちを守るという趣旨から編纂されました。山本有三、吉野源三郎、吉田甲子太郎の三人によって編纂され、そのうちの一つである本書は倫理を扱うことになりました。
『君たちはどう生きるか』はコペル君というあだ名の中学生を主人公として、彼の精神的な成長を描いています。コペル君を通して繰り広げられる様々な具体的な問題や疑問点に対して、コペル君の「おじさん」とのやりとりによって彼が精神的な成長を遂げる物語となっています。この本は倫理を扱っているだけあって、人間としてどのように生きるのかということを示し、人間のモラルを問うています。コペル君の友人に対するリンチ事件でコペル君は以前の約束に反して、友人の中で自分だけリンチを傍観してしまいます。これに対してコペル君は後悔し、半月も寝込んでしまいます。このことについて「おじさん」は自分自身が自らの行動を決定するのだと言います。自らの行動を誤ることもある、しかし自らの行動を決定する力を持つからこそそこから立ち直れるということをコペル君に教えます。このように倫理的な人間関係を示すことに大きな比重が置かれています。
しかしこの著作の面白い部分は倫理だけにとどまらず、世界を認識する方法について書かれていることです。本書の解説として、丸山眞男は「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」の中でこのように述べています。
天降り的に、「命題」を教えこんで、さまざまなケースを「例証」としてとりあげてゆくのでなくて、逆にどこまでも自分のすぐそばにころがっていて日常何げなく見ている平凡な事柄を手がかりとして思索を押しすすめてゆく。(丸山 「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」吉野前掲書1982;p.324)
このように『君たちはどう生きるか』ではコペル君が粉ミルクからその背後の生産関係について考えたこと、東京をデパートの上から見下ろしたことで、世界を見る視点の転換について考えたことなど、きわめて具体的、個人的な出発点をもった思考が描かれています。丸山眞男はこれらの具体的なコペル君の思考から資本論や都市論を見出しています。
以上のように本書はもちろん倫理的な部分を多く扱ったものでもありますが、それ以上に吉野の世界を見るまなざしや彼の思想が見え隠れする本だと言えると思います。編集者吉野源三郎の思想の一端を見ることができた気がします。この著作の題のような人生論的なものは苦手だったのですが、吉野の思想的な視点を探すことは面白かったです。みなさんももし興味があれば是非読んでみてください。