今回のフィールドレビューは修士課程のリクが担当します。修論提出を終えて、日本での留学生活も残り僅かで、日本文化を体験しつくすかのように(体験しきれいないですけど)、色々なイベントに参加しています。この1月に、念願の壽初春大歌舞伎も見に行ってきました。
出身の南京大学では、ゲストを招いて日本文化を紹介する講座や活動が時々開催されています。私が一、二年生の時に、坂東玉三郎氏がこの講座にやってきました。当時まだ日本に行ったことがなかったですし、歌舞伎に対しても、坂東玉三郎に対して全く見識がありませんでした。
それにもかかわらず、目の前の舞台に、一身地味な白い衣裳を着て登場した坂東さんに、何らか違う雰囲気を感じて、思わずに魅了されました。氏は日本の歌舞伎文化と中国の戯劇に対する認識を交えて紹介し、女形の歩き方をその場で演じて見せてくれました。
講座の後、かなりの「美」の衝撃を受けた私は初めて歌舞伎に興味を持つようになり、坂東玉三郎は日本で「人間国宝」と言われるぐらいの影響力も持っていることも色々調べるなかで分かって、いつか日本で彼の公演を見に行きたいと思うようになりました。
その講座の後、『大奥』などの日本映画のなかでもしばしば歌舞伎のシーンが出て、その華々しさと哀れさに何となく引かれていましたが、中国の古典劇と同じであるように、容易に鑑賞できるものではないとも気付きました。
日本へ留学しに来てから、日本文化を体験する機会が多くあります。落語、漫才、手品などを合わせる演芸会や、能楽と歌舞伎ぐらいをそれぞれ鑑賞したことがあります。日本語はまだまだ堪能ではないとしても一留学生にとって、落語などの演芸は、例え全部聞き取れずにも、口ぶり何とかで面白いと感じます。
能を鑑賞したのはもう五年前のことですが、せっかく当時の先生から高価なチケットを頂きましたのに、開場してからしばらくも情けなく寝てしまったことしか覚えていません…。またいつかもう一度まじめに聞きに行きたいです。
歌舞伎の鑑賞体験は何やら順調で、初回は国立劇場が開催する歌舞伎鑑賞教室で、丁寧な鑑賞講座の後に、『ぢいさんばあさん』という分かりやすい世話物を鑑賞しました。前からの関心があって、講座のもとで自分の理解で歌舞伎の面白みを感じたその回の鑑賞は、いっそう歌舞伎に対する興味を引き立てて、とても役立ちました。
図1『ぢいさんばあさん』のパンフレット表紙
それで今回は坂東玉三郎が初春大歌舞伎に公演するのを知り、思い切って見に行きました。昼の部、一.『金閣寺』、二.『蜘蛛の拍子舞』、三.『一本刀土俵入り』の三幕を鑑賞し、豪華絢爛な時代物にやや難しいセリフがいっぱいですが、やはりそれこそが歌舞伎の醍醐味が溢れる本番で、その魅力をしみじみに感じ、感動しました!特に印象深かったのは、『金閣寺』に中村七之助が演じた雪姫と『蜘蛛の拍子舞』に坂東玉三郎が演じた白拍子です。妻菊実は葛城山女郎蜘蛛の精でした。
図2 パンフレットに載せている『金閣寺』のスチール――七之助が演じた雪姫
図3 パンフレットに載せている『蜘蛛の拍子舞』に玉三郎が演じた白拍子
男が女を演じること、歌舞伎のなかで「女形」といいますが、日本固有のものではありません。中国の京劇を始め、世界中の数少なくない劇種に似たものが見られます。そのスタイルの起源について、神の両性具有性など、宗教的な説も色々ありますが、よく考えたら、演劇も、男女両性も、奥義深いことですので一層の神秘性があります。
女形は歌舞伎の成熟の一つの証とよく言われています。それは、演劇というのは他ものを演じることで、女形とは、女ではない男が女を演じるという最も徹底的なな演劇活動だからなのではないかと私が読み取っています。鑑賞する限りに、舞台上の女形は、衣裳や化粧などはもちろん女のようですが、感服させられるのは、声の出し方、細かい動きがさらになんとも言えない雰囲気で、完全に女性の美しさを醸し出しています。
かつてよく坂東玉三郎のインタービュー記事などを読んでいて、やはり女形というのは、単なる物真似ではなく、常に心情的に感じ取った女性らしさを自分の体に浸透しこんで、舞台に醸出し、女を描き出す修行です。そうすると、女形と言うのは実は女を演じるわけではなく、「女」という性別を描き出しているのではないかと思い、固有の性別を丸捨ててからこそ、もっとも純粋な「女」、さらに「女よりの女らしさ」を描き出すことが可能となります。
ところで、日本の女形と対照的に、中国の京劇にはそのようなスタイルは「男旦」といいます。最も日本でも名が高く、男旦の代表者は梅蘭芳です。坂東玉三郎本人も何度も梅蘭芳へ敬意を公に表したことがありますし、さらにわざわざ北京へ赴いて、梅蘭芳の息子の梅葆玖に京劇の定番演目『貴妃酔酒』を習い、彼が出演する歌舞伎『楊貴妃』に取り入れました。しかし、日本が今日までにも女形の伝統を保ち続け、子役以外に女性俳優が歌舞伎の舞台に登ってはいけないと違って、現代中国では「男旦」は様々な原因で禁じられた時期もありまして、今もそれほど多くは見られません。
図4 2014年10月14日、梅葆玖氏が東大で講演会を行う際のポスター
面白いことに、私が歌舞伎を見る翌晩に、研究室の一行と一緒に宝塚へも見に行きました。詳細は、同ブログの2月5日に載せているフィールドレビュー、博士先輩の鈴木さんがとても面白く書きましたので、ご参照ください。宝塚を鑑賞して、中国の清末、すなわち19世紀末20世紀の初頭頃にも、男女同台が禁じされているため、女性だけの劇団も組み立てられたことがあると思いだしました。ただし、その後、男女同台も徐々に許されるようになり、そのような劇団も長続きしませんでした。
さて、今回のフィールドレビューをもって、丹羽研での修士課程はいよいよ最後になりました。複雑な気持ちでいっぱいで、とにかく、三年間、色々お世話になりました。この先自国に帰って東京と離れますが、ぜひ偶に、フィールドレビューの場を借りて、また投稿させていただきたいと思います。