2013年2月22日、東京大学本郷キャンパス工学部2号館にて、テレビアーカイブ・プロジェクト第11回「みんなでテレビを見る会」が開催されました。今回は、「なるほど!ザ・ワールド~海外情報バラエティーの先駆け~」をテーマに、1984年・89年・96年にフジテレビで放送された『なるほど!ザ・ワールド』の3本を上映しました。
ゲストにはこの番組のプロデューサーであり、『アメリカ横断ウルトラクイズ』を皮切りに、『クイズ世界はSHOW BY ショーバイ』『世界ウルルン滞在記』『あいのり』などの海外バラエティー番組を手掛けられた、制作会社オン・エアー社長の石戸康雄さんをお招きしました。
まず、1984年1月2日放送分の『なるほど!ザ・ワールド 新春特番』の前半部分、約55分間を視聴しました。番組が歴代最高視聴率36.4%を記録した、1983年12月27日の直後の放送で、いわば「最も勢いのあった時代」のVTRです。この番組自体、期末期首や年末年始の核になる番組として、度々スペシャル編成されていましたが、基本構成はレギュラー回を踏襲した構成になっており、今回は、この2時間特番の前半部分を見ることによって、番組の全体概要を掴んでもらう意図を持って視聴対象としました。
今や、クイズ番組の王道となっているロケ現場からの「VTR問題」の出題ですが、少なくとも海外モノに関しては『なるほど!ザ・ワールド』が最初であったと思われます。この回の放送でも、国内版のVTR問題が「北海道と沖縄」、海外版のVTRが「ペルー」とで構成されており、この国内と海外を一つずつ入れるのが、レギュラー時でも番組の基本的構成でした。この回は、国内版のリポーターに「みのもんた」、海外版にひょうきんアナとして名を馳せた「益田由美」を起用しておりましたが、基本的には短期ロケには有名人で長期ロケは局アナと使い分けていたようです。
また、VTR部分以外のスタジオ構成にも特色があり、毎回イベント的な仕掛けが演出されておりましたが、この回はアメリカから「芝生男」を招き、実際にジャケットに芝生を育成して着用させたり、芝生やカイワレを植えた車を走らせるなど、手間暇かけた作りになっていました。それに加えて、「なるほど!ザ・恋人選び」と呼ばれた、8名の有名タレントの写真パネルを海外で異性に見せて選択させるコーナーなど、「定番クイズ」がいくつかあり、好評を博していました。
こうして、『なるほど!ザ・ワールド』は当時としては画期的な海外モノの「スタジオ型」クイズバラエティーとして、特番編成時の核になる番組として、1982年に始まるフジテレビ黄金時代のきっかけとなりました。その背景として、一つには当時のフジテレビ村上七郎編成局長の下に組織された「編成主導体制」で、低視聴率に苦しんでいた19時半の「旭化成」一社提供枠を消滅させて、水曜日21時のゴールデン枠にレギュラー番組として登場させた編成的理由がありました。しかし、一方で石戸氏は、インチテープなどの発明によるENGカメラの普及などの「技術的要因」の進化が、制作面では非常に大きかったと語っていました。
また、その他の特徴として石戸氏は「イベント型」番組であったことを指摘し、パリダカールラリーに番組として参加したり、デパートとタイアップして企画展を開催するなど、後の「フジテレビ夢工場」につながる事業を展開したと説明されました。一方制作面では、NYタイムズスクエアの電子看板の独占、北極や北朝鮮へのロケなど、当時では画期的方法で、「話題性」を重視し制作費を重点的にかけたと話されていました。クイズ番組なのに、紀行・旅ものであり、ドキュメンタリーでもあるという多角的側面を持ち、その後の「海外バラエティー」番組の先駆けとなり、最高視聴率は36.4%にも達しましたが、数字を狙ったものではなく「結果としてついてきた」と回想しております。
次に、1989年12月26日放送分『なるほど!ザ・ワールド 総集編スペシャル』から、グリーンランド編部分を抜き出して編集したVTR、約40分を視聴しました。このグリーンランドロケは、石戸氏が取材した作品の中で、最も思い入れの深いものの一つだということでした。VTRでは、女優の熊谷真実が、グリーンランドの人類が住む最北の地に住む日本人を2度にわたり訪ね、現地でアザラシの猟に同行したり、生のカモメを食すなど密着リポートを敢行しております。このVTR部分だけでも、ある種良質のドキュメンタリーとして充分に成立しており、バラエティー番組のクイズVTRとしてはかなり贅沢な作りとなっております。
1980年代は、徐々に海外旅行が一般に普及していった時代でありましたが、まだロケに行く際の、撮影許可・ビザ発給・カルネ申請などは、困難であったと言われ、現地での海外「コーディネーター制度」もテレビ番組制作過程では確立されていませんでした。しかし、現地で音楽家や建築家などを目指している在留邦人たちを組織化し、そのネットワークを世界各地に広げていったようです。ロケやロケハン時の制作体制は基本的に二班体制にして効率化するなど、安全面や経費削減においても、パイオニアとして工夫を凝らしていました。
このように、海外ロケ自体が現在と比較するとハードルが高い中、「グリーンランド」など極めて到達が困難な地を選んでのロケでしたが、この番組以前のドキュメンタリーのように、目的地へのアクセスの厳しい過程にフォーカスすることなく、あくまで、通常の旅行者のように楽々と到着し、その後のアドベンチャーをレポーターが楽しむという作りとなっておりました。この背景には、番組が定着するにつれ、「誰もがいけない秘境」をレポートするより、「誰でも行けそうな観光地」を特集する方が、「視聴率」を獲りやすかったという事情もありました。しかし、この「海外」に対する一種の軽さ・ハードルの低さ、扱い方の違いこそが、「海外モノ」番組をドキュメンタリーからバラエティーに移行させた一因になったのではないでしょうか。
最後に、最終回となった1996年3月26日放送分『なるほど!ザ・ワールド15年ありがとう!グランドフィナーレ』のオープニング部分のみ、4分間を視聴しました。この3時間半に亘る放送をもって、番組は14年半の放送に幕を閉じましたが、フィナーレを飾るにふさわしく多数の歴代ゲストが集結し、海外からの楽団も登場する豪華なものでした。
石戸氏によると、この最終回には出演者のほかに、それまで番組を裏方で支えた世界各地のコーディネーターもフジテレビにより招待されており、番組制作サイドの一体感とキー局としての責任感が感じられます。海外ロケ時にも、次に訪れるテレビクルーに悪しき習慣を残さないため、税関などで絶対に賄賂を渡さなかったなど、テレビマンとしての意識も高く、取材先には必ず礼状と共に取材VTRを送り届けるアフターケアも欠かさなかったと言います。
また、「視聴率」についても、後に石戸氏が担当した日本テレビ『クイズ世界はSHOW BY ショーバイ』では、視聴率分計表を細かく分析した上で、演出手法を変更した「マーケッティング型」で「作り手」の個性は制限されていました。一方、『なるほど!ザ・ワールド』では、番組開始当初は一桁視聴率も、9回目の放送で20%を超え、目先の数字にこだわらず、長期展望に立って「新たな演出方法」にこだわった結果としての「高視聴率」だったのです。
初回放送から、30年以上が経過した番組ですが、古い番組特有の「クラシック感」は出演者からしか感じさせないのは、その後の多くの海外クイズ番組が、『なるほど!ザ・ワールド』の構成をそのまま現在も踏襲しているからでしょうか。いずれにしても、このエポックメイキングな番組は「古き良き時代のテレビ屋」の矜持を以て制作され、大胆に「新しさ」にこだわりを持って作られた作品であり、現代のテレビマンにとっては、実に羨ましくも輝いている番組でありました。