博士課程の飯田です。
200人以上が亡くなっている能登半島地震。わたしは実家のある新潟市で遭遇しました。
わたしと同様、東京から帰省していた妹家族といっしょに、海沿いの神社でお祓いを受けていたときでした。頭を垂れていた数十人のスマートフォンから、あの嫌な音が一斉に鳴り響き、社殿がギシギシと揺れ始めました。窓ガラスはミシミシと震え、天井の角にぶら下がっていたスピーカーは前後に揺れました。最大震度7の熊本地震を経験していたからか、周りをみわたす余裕はありましたが、それでも全身にぐっと力が入るのがわかりました。
1分近く揺れていたでしょうか。ようやく静かになり、避難の指示を待っていると、なんとお祓いが再開されるではないですか。隅っこで丸くなって震えていた巫女さんはびっくりした顔をしながら、鈴を鳴らし始めます。でもそこで、別の神社の人が入ってきてこう叫ぶのでした。「急いで建物から出てください」
神社の中庭に出ると、冷たい風が吹き付けるなか、スマホで情報を集める人でいっぱいでした。一番怖いのは津波。「とにかく高いところに移動しよう」と言うと、妹家族は「車を取りにいきたい」と言い出しました。車を停めたのは神社よりもさらに海に近い駐車場。「まずは高いところに逃げて、大丈夫だとわかったら取りにいこう」といさめ、急いで高台にある学校の敷地に駆け込みました。
震える指でスマホをいじりながら、なんとも言えない気持ちになりました。3・11のあと、大きな地震が起きたらすぐに高いところに逃げること、渋滞に巻き込まれないよう車にはできるだけ乗らないようにすることは、ある意味“共通認識”になったと思っていたからです。
「あの日」からもうすぐ13年たつことを実感した元日でもありました。