先日、長野県上田にある「無言館」というところに行ってきました。無言館は、第二次世界大戦中に無名のまま没した画学生が残した、作品や愛用品・手紙などを展示している美術館です。
上田電鉄塩田町駅から徒歩で約30分。小高い山を登りきったところに、ひっそりと建っているのが無言館です。そこはその名の通り、静かな施設でした。入り口には受付やチケット売り場もなく、ドアをあけるとすぐに、戦没画学生の絵が壁一面にかけられている様子が目に入ります。話し声ひとつ聞こえてこず、自分の鳴らす靴音にも気を遣ってしまうほどでした。
絵の一点一点には長いキャプションがつけられており、ひとつひとつの作品に物語があることを伝えています。作品の大きさや体裁には凸凹がみられ(下絵のようなものから、大きいキャンバスに描かれた大作まで)、作者の経歴・知名度にも濃淡があります。そうしたことから、画学生たちが残した作品、画学生たちの営みの「回収され得なさ」を思います。それらを「反戦」とか「平和」「無念」などの言葉で片づけてしまうことはできないと感じるのです(もし私の遺品が何らかの形で後世に残ったとしても、そんな風に代弁してもらいたくはないでしょう)。
さて、無言館の見学が終わった後、館主の窪島誠一郎さんのお話を聞くことができました。窪島さんは自身の学生時代や戦後の生活などをざっくばらんにお話されていてとても楽しかったのですが、私が特に印象深かったのは、窪島さんが戦没画学生の遺品を集めるプロセスです。窪島さんは1992年に収集を開始してから、自分の足で遺族をたずね、話を聞き、一点一点遺品を集めていきました。無名の戦没画学生の遺族を探し当て、遺品を収集し、「無言館」という美術館を建設すること。それらは方法論の前例がない試みであったと思います。
お話を聞いたとき、最近読んだ『明治出版史上の金港堂――社史のない出版社「史」の試み』(稲岡勝、2019年、哠星社)という本を思い出しました。ミュージアムなどに集められた資料を、それがそこにあることを前提として、そこから取捨選択するなどして研究をすすめることの多い私ですが、そうした前提に常に意識的でありたいなと思いました。
(写真は無言館の外にある「絵筆の碑」というモニュメントです)