こんにちは、修士2年の堀越です。みなさんは「8月ジャーナリズム」という言葉をご存知でしょうか?広島・長崎に原爆が投下された日や敗戦を迎えた日がある8月に、メディアで戦争に関する報道が多くなされる現象を表した言葉です。今回のフィールドレビューでは戦争について個人的な視点で考えたいと思います。
大学院のある授業で、近年日本で「晩発性PTSD」という病が増えていることを知りました。この病は若い頃に受けた心の傷が、仕事や子育てなどの生活に追われなくなった老年期に心身の不調として現れるというもので、戦争を経験した高齢者に多くみられるといいます。
この話を聞き、8年前、私が高校生のときに88歳で亡くなった祖父のことを思い出しました。PTSDとは違うのですが、祖父は晩年認知症を患っていました。死の間際、陸軍の小隊長としてビルマ戦線を闘っていた記憶と現在が混同し、「敵の軍隊が攻め上がってきている」と妄想に囚われていました。戦争体験を周囲に語ることのなかった祖父でしたが、父に聞くと日記や手記を残していたというので、生家を探してみると埃をかぶったそれらを見つけ出すことができました。
当時の戦場日誌には「〇〇到着」、「〇〇戦死」などと事実が箇条書きにされており、淡々としている分逆にリアリティが伝わってきました。また後年の手記には部下に無謀な突撃を命じたことや仲間を置き去りにして引き揚げてきたことへの後悔が綴られていていました。
祖父は誰にも話すことができず戦争で負った傷を抱えたまま、「戦場」のなかで亡くなっていったのだと思うと、当時の自分に対して、「妄想」として片づけないでもっとできることがあったのではないかと、やりきれない気持ちになります。
テレビや新聞では73年を過ぎてもいまだに(今だからこそ)新たな証言をされる戦争体験者を目にします。個人が内に抱える傷を社会の傷として受け止め、同じ傷を二度と作らないためにどうしたらよいか。そんなことを考えた平成最後の8月でした。