韓国映像資料院を訪ねました

みなさま、こんにちは。今回のフィールドレビューは、博士課程の丁智恵が担当致します。先日、韓国ソウル市上岩洞(サンアムドン)デジタルメディアシティ(略称:DMC)にある韓国映像資料院(Korean Film Archive)に行って来ましたので、そのご報告を致します。

まずは、韓国映像資料院の歴史について簡単に説明をします。その事業の始まりは、財団法人韓国フィルム保管所として1974年に、ソウル市中区南山洞(チュングナムサンドン)の映画振興公社の建物内に設立されたことです。その後76年には、FIAF(国際フィルム・アーカイブ連盟)のオブザーバー資格を獲得し、85年に正会員加入することになり、90年には同市内瑞草区瑞草洞の「芸術の殿堂」という施設の中に移動します。91年には、財団法人韓国映像資料院という名称となり、94年から映像資料保存事業について国庫の補助が始まりました。

その後、国内映画フィルムの提出制度が始まり(96年)、法律第35条により、国内で制作された映画のフィルム、ディスク、また複写版と台本、広報用のスチール写真、ポスターなどを提出することが義務づけられます。この制度により、韓国映像資料院には、その後作られた韓国映画に関する豊富な資料が次々と収集されていくことになりました。また98年には、韓国映画情報インターネットサービスが実施され、インターネット上で韓国映画に関する様々な情報が検索可能となりました。

韓国映像資料院は、2002年に特殊法人となり、文化体育観光部の傘下に所属する公共機関となります(映画振興法第24条の3)。その後、同市内の上岩洞にあるDMCに移転します。DMCは、ソウル市が助成している約57万平米(東京ドーム約12個分)のデジタルメディアとエンターテイメント産業の集結地です。この場所に移転してからは、総合映像アーカイブセンターが起工(2004年)、韓国映画データベースKMDbの開始(2006年)、映像図書館が開館(2007年)、韓国映画博物館の開館(2008年)など、近年めざましい活動を行い、国内外の韓国映画の普及や研究に寄与しています。

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私は今回、初めてこの韓国映像資料院内にある韓国映画博物館(1F)と、シネマテークKOFA(B1)、映像図書館(2F)、そして保存技術センター(2F)、韓国映画史研究所(4F)などを見学させて頂きました。

地下1階のシネマテークKOFAは劇場になっており、国内外の様々な映画を上映しています。このときはたまたま、大島渚監督の追悼上映をやっていました。ちょうど丹羽研でも1月の「みんなでテレビをみる会」で大島渚のテレビ・ドキュメンタリー特集を開催したところだったので、非常に興味深くプログラムを見ました。ここでは、『帰ってきた酔っぱらい』や『日本春歌考』、『愛と希望の街』、『絞死刑』など、日本でもなかなか簡単には見られない作品が、この分野の専門家の講演などと合わせて上映されていました(2013年3月14日〜24日までの企画上映)。

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1階にある韓国映画博物館は、入場料は無料、開館時間であれば誰でも予約無しに入って見学することができます。また、展示は韓国語ですが、日本語や英語などの音声ガイドの機械を受付で無料で借りることができます。私は韓国語を理解できますが、日本語の音声ガイドの機械も借りて聞いてみたところ、ネイティブの日本語でとても丁寧で分かりやすい説明になっていました。

ここでは、1903年から現在までの韓国映画史について時代ごとに展示した「韓国映画の時間旅行」というテーマの展示、また12名の代表的女優を通じて社会文化史を振り返る「女優列伝」、さらに、30年代の代表的な劇場を再現した「無声映画劇場」、また映画の原理について科学的に説明した「映画の原理ゾーン」、「アニメーションゾーン」など、様々なテーマごとに展示がされており、子どもからお年寄りまで多様な年齢層の人びとが韓国映画について関心を持ち、理解を深めることができるように工夫されています。

私がとくに関心を持って見たのは、「韓国映画の時間旅行」の展示コーナーでした。ここでは、1903年頃に韓国(朝鮮半島)に映画が導入された時代から、現在に至るまでの約110年を、4つに時代区分し、それぞれスチール写真や動画、台本など、貴重な資料を展示しながら紹介しています。

第1期(1903年〜1945年)では、韓国最初の連鎖劇「義理の仇討ち」や、初めて韓国内の資本と人材で制作された映画「薔花紅蓮伝」、またのちに抵抗的民族主義のテキストとされる「アリラン」やその監督である羅雲奎のプロダクション、そして最初の発声映画「春香伝」と発声映画の時代や、40年代の映画新体制以後の朝鮮映画株式会社について詳しい説明がされています。

つぎに、第2期(1945年〜1972年)の展示では、解放後から50年代の朝鮮戦争の時代、そして韓国映画の中興期ともいえる60年代のジャンルや作家などについて紹介されていました。

つづく第3期(1972年〜1986年)の展示では、独裁政権の時代に、検閲や国策映画などが背景となって始まった80年代の「青年文化」、そして具体的な映画監督やその作品のスチール写真や広告などが展示されていました。

さいごに、第4期(1987年〜現在)では、「コリアンニューウェーブ」から映画運動、韓国映画ルネッサンス、そして近来の話題作に至るまでが、ポスターや映画の動画などを展示しながら紹介されていました。近年の韓流映画に関心のある人びとには、ぜひこの韓国映画博物館を訪れてその歴史について知ってほしいと思います。

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次に、2階の映像図書館を訪ねました。ここでは、パスポートなどの身分証でIDカードを発行すると、誰でも利用することができます。映像資料、OST、ポスター、スチール写真、チラシ、シナリオ、図書、論文、定期刊行物など、韓国映画に関する様々な資料が所蔵されており、ほとんどの資料が閲覧可能です。

私は今回、植民地時代の映画について調べるために訪問しましたが、多くの資料がデジタル化されており、視聴ブースですぐに見ることができました。視聴ブースも、1人用、2人用、大人数用(10人まで)の鑑賞席があり、様々なニーズに対応していました。大学の研究会などで映像資料を鑑賞するときには、大人数用の鑑賞席が便利そうです(こちらは、予約が必要ですが、利用料は無料です)。

また、韓国映像資料院のホームページ上でも作品のデータベースが検索可能であり、著作権などの問題をクリアした作品が多数視聴出来るようになっています(韓国映像資料院 http://www.koreafilm.or.kr/index.asp、韓国映画データベース http://www.kmdb.or.kr/)。

次に、同じく2階の向かい側にある、保存技術センターを訪問しお話を聞きました。ここは、一般の人は入れないようになっていますが、今回は研究調査の一環ということで、特別に見学させて頂きました。ここで行なわれるフィルム処理過程で使用されるフィルムの缶やフィルムを入れる袋などは、すべてISOで規定された保存力量テスト(PAT, Photographic Activity Test)を通過しており、保管庫はフィルムの特性に合った温度・湿度が常時保たれるようになっているそうです。

また、2006年からは、災害時に被害が発生してもフィルム資料の復旧率を最大にするための根本的解決策として、海外アーカイブでも採択されている二元式保管の運営体制を構築するなど、安全と保存品質の向上につとめているとのことです。

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さいごに、4階にある韓国映画史研究所を訪問し、研究員の方々に研究の一環としてお話を伺いました(事前にアポイントを取りました)。ここでは、韓国映画史研究に関する様々な事業を展開しており、韓国映画史に関する史料を収集し、DVDなどの企画や製作も行い、また国内外韓国映画研究団体や研究者とのネットワークも構築・管理しています。そして、韓国映画史関連資料の収集、研究、翻訳や出版なども行い、韓国映画に関する学術研究の成果の普及や、関連団体の支援、セミナー、シンポジウム、講座などの企画・進行なども行なっているそうです。

近年韓国映画に関する研究は、この研究所のはたらきもあって非常にさかんであり、韓国映画史に関する書籍や、韓国古典映画のDVD集などの刊行がさかんに行なわれている状況です。私も、今回の訪韓時に韓国映像資料院が出版している本やDVDを購入しましたが、とくに2000年代に入ってから若手研究者による様々な視点からの研究が進んでいるようで、頼もしい限りです。

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もし、皆さんが韓国映画に少しでも関心があって、ソウルに行かれることがあれば、ぜひ立ち寄って頂きたいお薦めの場所です。韓国映画に対する視点が、これまでと大きく異なってくるでしょう。

私の博士論文での研究は、このような豊富な資料に恵まれた韓国映画に関連する内容にする予定ですが、あまりにも資料が沢山ありすぎて(笑)、迷ってしまいます。またこの点については次回のフィールドレビューの際にでもお話したいと思います。