今回のフィールドレビューは博士課程の萩原が担当させていただきます。少し前のことになりますが、調査のために石川県河北郡内灘町へ行ってきました。フィールドワークというほどのものではなかったのですが、お会いできた方々にたくさんお話を伺うことができました。
内灘町は1952年頃朝鮮戦争を契機に、アメリカ軍の砲弾試射場が建設されました。この動きに対し、内灘村(当時)の住民たちは自らの生活権を守るために反対運動を起こしていきます。この反対運動は「内灘闘争」と呼ばれ、1957年のアメリカ軍撤退まで継続した基地闘争でした。
私は現在、こうした1950年代の基地闘争について研究しているのですが、やはり60年も前のことで、図書館で探すにしても資料には限界があります。運動には必ずと言っていいほど使われるビラやミニコミ誌などは、そもそも図書館にはほとんど置いてないですよね。
ということで、貴重な資料が見られる地元の資料館「歴史民俗資料館 風と砂の館」へ行ってみました。まず金沢駅から北陸鉄道浅野川線を使い内灘へ。
<北陸鉄道浅野川線金沢駅>
この通称「北鉄」の労働者たちは、内灘闘争でも先頭に立ち、軍需物資輸送拒否ストなどを積極的に行いました。
<内灘闘争当時の北鉄労組の写真やビラ>
そして内灘駅から徒歩では少し遠いのでタクシーを使って風と砂の館へ。なんと偶々乗ったタクシー運転手さんは内灘闘争の頃は中学生で、運動に参加していた(!)ようで、資料館へ向かう間当時のことをお話しくださいました。
風と砂の館では「粟崎遊園」と「内灘闘争」を中心に展示が構成されており、私が訪れた時はちょうど企画展「写真で見る内灘闘争」が展示されていました。
この資料館のボランティアをされている方にもお話を伺うことができました。風と砂の館ではボランティアの方々が中心となって、内灘闘争に関する聞き取りや調査などを行っているようです。
今回の調査では、現地に赴くことの重要性を再認識しました。東京にはない資料があり、当時のことを知る経験者にも出会え、研究者並みに当時のことに詳しい方もいます。私は個人的には、図書館などに籠り、資料を漁ることが好きなのですが、対象の「現場」へ行くことも同じくらい研究には必要なのではないかと思いました。
<基地が建設された内灘砂丘の現在>