今回のフィールドレビューは私、M2の伊東が瀬尾さんに続いて修論中間発表会に関する話題をお話ししたいと思います。
前回のフィールドレビューでもお伝えしましたように、私の研究目的は「日本のテレビ放送ネットワーク形成の経緯を探りたい」というものです。そしてそこから、長引く不況の影響等から地方局の存在感がすっかり低下し、一方でインターネットの発達等の情報環境の急速な変貌への対応も求められようとしているテレビ放送(特に民放の)ネットワークの今後に対し、いわば「温故知新」となるようなトピックを見出せないか、という問いを大きなテーマとして掲げています。
ただ、修了までの限られた時間の中ではその歴史の全てを調べ上げることはまず不可能な話で、適切に研究対象となる地域を絞っていく必要が浮上していました。その対象地域が、中間発表を前に決まりました。愛知県名古屋市を中心に、愛知・岐阜・三重の3県を管轄する「中京広域圏」です。それではなぜ、このエリアを対象とするのか。その理由は次の2点にあります。
①この地域が全国でも唯一のネットワーク構造を有していた時期があったこと
現行の体制にたどり着く以前の民放ネットワークは、まだ大都市圏にしかテレビ局が無かった時代の「オープンネット」(昭和30~40年代。各会社間の関係はほぼ対等)、2つ以上のキー局と地方局1社がネットワーク契約を結ぶ「クロスネット」(昭和40年代以降。この時期からキー局の権限は強まる)と推移し、最終的に現在最もポピュラーな、1つの地方局が1つのキー局の番組の配信を受ける形式=「フルネット」に行き着いています。
中京広域圏では、「オープンネット」の時期に2社(CBC・東海テレビ)が同じネットワークに加盟したり、「クロスネット」の時期に2社が同じ東京の2社とネットワーク契約(名古屋テレビ・中京テレビと日本テレビ・NET=現テレビ朝日)を結んだりするという、現在の概念では考えられない環境が生じていました。こうした様々な可能性を実践してきた歴史について再考することは、この研究のテーマに合致するのではないかと考えています。
②この地域における民間放送の始まりが、日本の民間放送そのものの起点であること
テレビ本放送開始の2年前、1951年9月1日に日本初の民間ラジオ放送局として開局を果たしたのが、名古屋のCBC(中部日本放送)でした。民放企業の設立についての草創期の理想を読み返した上で、現状について考察し、あるいはラジオの放送ネットワークとのつながりや比較を考える上でも適切ではないかと考えています。
中間発表会で審査をして下さった丹羽先生、水越伸先生、林香里先生からは、「NHKによるネットワーク構築への言及も必要」「海外のネットワークのあり方についてもっと詳しく調べたほうが良い」「単なる放送業界の裏話のような内容になってしまわないように」等々、非常に貴重なご意見・ご指摘を多数頂きました。
いよいよ本格的な修論の執筆が始まります。これからが本当の正念場です。
【名古屋テレビ塔(伊東撮影)】