
今回のフィールドレビューは修士課程1年の忠鉢信一が担当します。修士論文に向けていま考えていることを書いてみようと思います。二度目の投稿ですが、初めてこのHPをのぞいた方のために、自己紹介から始めます。
私は2024年春まで、全国紙を発行する新聞社で主にスポーツ担当の記者をしていました。仕事をしながら夜間の社会人大学院でスポーツ科学の修士・博士を取得した経験を経て、55歳で選択定年の制度を使って退社しました。現在はフルタイムの学生です。
新聞がデジタルメディアになろうとしていた
新聞がデジタルメディアになろうとしていた時代を私は体験しました。たとえば、出来事の経過をリアルタイムで時系列の表のように書き加えていくタイムラインというオンラインの手法が生まれました。それを私は、注目されるスポーツのイベントに応用することを試みました。しかしスポーツの場合、日々の紙面制作と連動させることが難しく、紙の新聞の仕事に加えてオンラインの仕事のための人と労力をかけなければならないことがデメリットになり、下火になっていきました。

一方で、オンライン上の記事を読むために読者が見出しをクリックした回数(PV)や、無料の記事を読んだ後に有料会員の申し込みをした回数(CV)などをリアルタイムで記事ごとに集計し、記者にフィードバックするシステムは、急速に定着していきました。オンラインニュースサイトに掲載した記事への反応を見て、紙の新聞への掲載や展開を判断する、という流れはデジタルファーストという言葉として編集局の文化になっていきました。それまでカンに頼っていた「読まれる/読まれない」の判断を、数値に任せることができるようになった変化は革命的だと私は思いました。そして、少ない労力で多くのPV・CVを稼ぐ記事が良い記事、という新しい価値観が急速に浸透していきました。その論理は、リスクの低い当局発表ベースの記事や、当たり障りのない「ゆるい記事」への志向性を強化し、自社の取材で事実を明らかにする調査型の記事を敬遠する流れも作っていきました。もちろん別の見方をする記者もいると思いますが、私はそういうふうに新聞づくりの変化を見ていました。
テクノロジーそのものが変化の原因ではありません。テクノロジーを何のために使うかという判断が、記事の価値基準を変え、組織の文化を変えていった。その経験が、研究者としての私の問いの出発点にあります。
物語化を問う
今、私の研究テーマは、メディア・スポーツの物語化——スポーツの出来事が記者や番組制作者の手を経て「物語」として再提示されるとき、制作者の主観的な解釈がいかにして自明な事実として提示されるのかを問うことです。この領域にもAIやアルゴリズムは深く関わり始めています。ただし、テクノロジーが意味を決定するわけではありません。意味を構築するのはあくまで人間の実践であり、テクノロジーはその実践が行われる条件を変えているのです。

ハーバード・ビジネス・スクールのカリーム・ラカーニはこう言いました。「AIは人間を置き換えない。しかしAIを使う人間が、AIを使わない人間を置き換える」。私は、もう一つ先の問いも重要だと考えています。どうAIを使うかの論理が、人間が産み出す結果を変える。重要なのは、少ない労力(リスク)で多くのPV・CVを稼ぐ記事が良い記事だという論理が、必ずしも当たり前ではなかったはずだという気づきです。新しい道具をどんな論理で受け入れ、なんのために使うのかには、自覚的である必要があります。