移動する人々のアーカイブ―ブラジル日本移民史料館―

博士課程の田中です。日本ではグローバル化や国際化の進展で在留外国人の方々の数が過去最高の358万8,956人に達しています(出入国在留管理庁2024)。私は来日した外国人の方々のメディアでの描かれ方や、その記録アーカイブについて考察をしていますが、逆に、日本から海外に移動して生活する人々の記録はどのようなものなのか、調べてもいます。

今回は、ブラジルの日系移民の方々の記録をアーカイブ化しているブラジル日本移民史料館をご紹介いたします。

日系移民の発端と現状

外務省の発表によると、海外の日系人数はおよそ500万人で、中でもブラジルは最も多く270万人となっています。下図は外務省領事局政策課(2023)をもとに筆者が作成したものです。ブラジルの次に多い米国150万人、それに続くペルー20万人、カナダ12万人、オーストラリア10万人に比しても、ブラジルの日系人数は圧倒的に多いことが分かります。

日系人数上位10カ国と各国の数値

日系移民の起源には諸説あり、隠れキリシタンが弾圧を逃れて国外移動したことに端を発するとするものや、1868年に砂糖産業を支える労働者としてハワイに移動した人々にはじまるとするものもあります。南米についても、奴隷制廃止後の労働力不足を背景に、日本人がペルーやブラジルへと渡り、極めて過酷な労働環境や生活環境に直面しながらも農業や商業で道を切り拓き、日系人社会を形成しました。現地の教育や文化の発展にも貢献し、「ジャポネス・ガランチード*japonês garantido」(信じることのできる日本人)としてブラジル社会での信頼を得るに至っています。

世界最大の日系移民史料館

そうしたブラジルの日系人の方々の今日に至る道のりは決して平坦なものではなく、時々の苦難と努力の積み重ねの上に築かれてきたものでした。ブラジル日本移民史料館は、この100年を超える歴史を記録し後世に伝えることを目的として1978年にサンパウロに開館しました。現在、実に約10万点に及ぶ日系移民関連史料(書類、写真、雑誌、マイクロフィルム、レコード、絵画、家庭用品、作業用品、着物など)が所蔵され、3つに分かれた広大なフロアでは資料や年表を通した詳しい解説、南米定期船の模型、開拓生活に使用された物品、映像、写真、音声などがさまざまなアプローチで展示されています。

ブラジル日本移民資料館の館内の様子

移民船名簿に記載された関係者の足跡とその重要性

史料館を訪れた当日は、日系4世のジャクリーン・フクシさんが同行くださったのですが、戦前戦後移民23万人の乗船記録検索システム(日本移民百周年記プロジェクト「足跡プロジェクト」)でジャクリーンさんが御祖父様のお名前を入力したところ、マニラ丸に乗船し開拓に参加した記録が表示されました。情報が少しずつ浮かび上がる過程の中で、ジャクリーンさんの表情にはご自身や家族も知らなかった御祖父の足跡に出会えた喜びと驚きの表情が浮かび、とても印象的でした。移住された方々が乗られた船の模様や移住の全体像については『乗船名簿AR-29』(NHK1968)や、その続編である『移住20年目の乗船名簿』『移住31年目の乗船名簿』『移住50年目の乗船名簿』に詳しく描かれています。ご関心のある方は是非ご覧ください。

乗船記録検索システム

ブラジル日本移民史料館は、日本から移動し定住した人々の歴史保存と継承を目的とするものですが、現在の日系人の方々のアイデンティティの確立やルーツの把握にも重要な役割を果たしていることを改めて実感しました。また、ブラジル移民の歴史は、ブラジルにおける在住民の多様化と相互理解、多文化共生の歴史でもあり、史料館に保存された当事者の声や文字の記録は、今後の持続可能な共生社会を検討する上でも重要な史料となるものと考えられます。

「アーカイブ(archive)」とは、将来の人類社会やコミュニティの未来のために保存・継承すべき記録の集積を指す言葉ですが、ジャクリーンさんが御祖父様のお名前から自身のルーツやファミリー・ヒストリーに巡り合う様子からは、アーカイブの持つ、人間の根源的な存在や可能性に及ぼす力を感じます。また、そうした一人一人の記録の保存と継承の積み重ねこそが、複雑化する世界や社会の未来を支える物語ともなることも実感し、人々が触れさまざまな角度から探究できるアーカイブ構築の重要性を改めて理解した1日でした。

参考文献

外務省領事局政策課(2023)『海外日系人数推計』

出入国在留管理庁(2024)『令和6年6月末現在における在留外国人数について』