昨今の男性ボーカルはなぜ「報われない女性」を歌にするのか

こんにちは、修士1年の清水将也です。音楽社会学・ポピュラー音楽研究の視点から、主に2010年代のJPOPについて考えています。今回は上記のテーマで執筆しようと思います。

明らかにフォーマット化している「報われない私」という主題

「本当はね、私もか弱い女の子」

ヤングスキニー「本当はね、」
(出典: https://www.youtube.com/watch?v=cxM_FmezzFA)

これは2022年にリリースされ、TikTokでバイラルヒットを記録したヤングスキニーの「本当はね、」という楽曲の一節です。意中の彼との恋愛に想い悩む女性心理を「私」という一人称で歌った楽曲で、10〜20代のリスナーを中心に多くの支持を得ています。作り手の意図どおり、TikTokのコメント欄には、「本当に女子の気持ちをわかってる!」といった女性からの熱烈な共感が多数寄せられています。

男性ボーカルが女性の心情を歌うヒット曲が増えている

もちろん以前から「女性心情を男性ボーカルが歌う曲」は多く作られてきましたが、2010年代になって、そうした楽曲がヒットするケースが増えていると感じます。以下はその一例です。

  • back number「ハッピーエンド」
  • クリープハイプ「ラブホテル」
  • Indigo la End「雫に恋して」
  • マカロニえんぴつ「ブルーベリー・ナイツ」
  • wacci 「別の人の彼女になったよ」
  • 優里「ドライフラワー」
  • saucy dog「シンデレラボーイ」

今の10〜20代であれば多くは耳にしたことがあると思いますが、これらは女性心理、特に「報われない私」をテーマにし、実際にヒットした楽曲群です。どれも男性ボーカルが曲中の一人称を「私」にして歌う形式が取られています。

これらに特徴的なのは、「自分(私)は捨てられる側である」という前提が曲中にある程度組み込まれている点です。一途というよりどこか冷めた、ドライな存在である「あなた」に沼り、捨てられる存在として、「私」は描かれています。

indigo la End・川谷絵音
(出典: https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/94874)

2010年代以降、こうした「報われない私」というテーマがヒットしやすくなったと感じますが、一方でこの傾向は、「男女平等」を謳う社会の建前とは逆行しているように感じられないでしょうか。

というのも性別問わず皆が平等であるならば、むしろ「男性が捨てられる歌」がもっとあってもいいはずだからです。もちろんback numberのような「不甲斐ない男性」に寄り添う歌も存在してはいますが、依然として若者は、私を「か弱い女の子」と歌ってくれる楽曲に共感しています。

今回の記事では、この「報われない私」がなぜこの時代に支持されやすいのか、そしてそれがなぜ「男性ボーカル」によるものなのかについて、社会的な背景を踏まえながら考えていきたいと思います。

2010年代以降の恋愛観の社会的変化

ここでは以下の3つの観点でこうした楽曲が増えている経緯について考えてみます。

現代における恋愛の難しさ

生涯未婚率の上昇や結婚観の変化、キャリア観の多様化や、若者の自己肯定感の低下など、基本的に現在の日本は「誰もが恋愛に前向きである」とは言い難い空気感にあります。もちろんこうした言説は誇大的な側面もあり、個人的には、多くの若者は依然恋愛を志向しているように感じていますが、とはいえ「何らかの理由でうまくいっていない」という感覚は多くの人が抱いているように思います。

恋愛トレンド2022
(出典: https://fb.omiai-jp.com/koipass/2276)

もちろん、そうした恋愛の悩みはこれまでの世代も抱えてきたものですが、この世代の大きな特徴として、「報われない恋愛」がインターネットを通じてより切実に可視化・共有されるようになった点が挙げられます。恋愛における苦しみや葛藤は、インターネット上で多くのいいねを獲得し、まるでこの世代みんながその渦中であるかのようなイメージを形成していきます。そこでは「報われない私」という像が、漠然としたまま拡散され、これまで以上に内面化されやすいものになっていると考えられます。

また2010年代は女性の社会進出が進んだ反面、それに伴う女性像の撹拌と女性間の格差も可視化された時代でした。それに伴い、男性よりもずっと「曖昧な立場」に置かれた女性が、「報われない私」として恋愛上でも表象されていると考えられます。こうした背景からも、「報われない私」を歌ってくれる楽曲への需要が高まった可能性は多いに考えられます。

マッチングアプリの登場、普及

次に挙げるのが、いわゆる「出会い系」と呼ばれるマッチングアプリの登場とその普及です。2015年頃から国内でもタップルやティンダーなどが普及し始め、現在では若者の4人に1人以上が利用しているともいわれています。

日常生活ではきっかけに乏しいが恋愛自体は希求している若者にとって、アプリは新たな選択肢となりました。間違いなくその登場以後で、若者の「恋愛的な状況の発生頻度」は上がっているはずです。

大学生のマッチングアプリの利用率調査(2022)
(出典: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000007.000075377.html)

しかしアプリでの恋愛は真剣交際向きというよりは「ライトな関係性」を助長するケースが多いです。世代的な体感としても、「浅く出会って、浅く別れる」的な、刹那的な関係性が増えたように感じており、それは結局「報われない私」の発生頻度や数を増えたことを意味しています。日常生活における出会いに比べて、アプリの関係性は「背景や文脈、没入性」にかけたライトなものであり、関係の破綻にもそこまでハードルがないと考えられます。それは「捨てる/捨てられる」という味気のない、冷たい表現が一般化しつつあることからも窺えます。

こうして「大量に選び、大量に捨て合う」恋愛のシステムが誕生したことで、世の中ではこれまで以上に「報われない私」が大量発生することになります。特にこうした状況では女性が「捨てられる側」であるケースが多く、それに寄り添う楽曲が増えるのは自然なことだといえます。

旧来の男性像の崩壊とジェンダーレスの促進

また昨今のジェンダーレス、そしてLGBTQの機運もあり、従来のように男性が「俺・僕」で歌わなければならないという価値観はなくなってきているといえます。ボカロの登場が「人間・機械」の境界を曖昧にしたように、性別の垣根を超え合うことも手法として一般化し、今日では男性が「私」を使って歌っても、それほどの違和感なくリスナーに楽曲が届きます。

2023年リリースのindigo la endの「名前は片想い」では、女性同士の恋愛を男性ボーカルが歌うという複雑な形式が取られていますが、今後はこうしたLGBTQに即した楽曲が増え、より種々の「ケース」に寄り添う多様化したラブソングが増えると予想できます。

「報われない私」というフォーマットの功罪

以上、社会背景を幾つか取り上げながら、なぜ「報われない私」が主題化されるのかについて考えてみましたが、最後に、「なぜそれを女性ではなく、男性が歌う方が世の中に刺さるのか」について考えます。

結論からいうと僕は、結局恋愛においては依然として格差が存在し、「男性が捨てる側」であることが多いからだという風に感じています。

結局、男女平等、ジェンダーフリー、価値観の多様化などと社会では謳われていますが、若者に支持される楽曲は「捨てる俺、捨てられる私」というある種の上下関係を前提としたものが多いです。

これは恋愛におけるそうしたパワーバランスの存在を示唆するだけでなく、依然として多くの人がその関係性にあまり違和感を抱いていない現実をも表しているように感じます。むしろ「私を捨てるあの人」に逆にかっこよさを感じたり、「捨てられる私」を過度に美化したりなど、こうした構造をより強固にする方向に、現在のコミュニケーションは進んでいるのではないでしょうか。

クリープハイプ・尾崎世界観
(出典: https://rollingstonejapan.com/articles/detail/37382)

僕は「報われない私」というフォーマットを使うアーティストを批判したい気持ちはなく、むしろ時代をよく捉えている、必要な存在であると感じています。ただ、男性ボーカルが「捨てられる私」を歌えば歌うほど、実際は「捨てる側の男」である彼らの地位が強固になっていくという、皮肉な構造には、やや違和感を抱いています。

もちろん彼らは常にそうしたモチーフで楽曲を作る訳ではないですが、リスナーは少なからず、フロントに立つ男性ボーカルに、「私を捨てたあの人」を投影しながら、感傷に浸っている側面があります。その背景には、「捨てる側の彼であるからこそ、捨てられた私の心情がわかる」という、そんな考えがあるようにも思えます。

近年は、BLACKPINKのような「強い」K-POPアイドルやAwichなど女性ラッパーの活動により「自立的な、新たな女性像」が提示されていますが、、依然としてマジョリティは「選択権の少ない、報われない私」への共感を求めています。今後、こうした複雑な現状がどう変化していくのか、僕は音楽を通してこれからも考えていきたいと思ってます。

最後までお読みいただきありがとうございました。