初めてフィールドレビューを担当します、修士1年の尚倩玉です。今回は最近読んだ本を紹介いたします。
最近読んだ本は、メルボルン大学社会政治学部の元教授であるシーラ・ジェフリーズ(Sheila Jeffreys)による著書『美とミソジニー: 美容行為の政治学』です。私は権力研究に興味を持っており、この著書は美と権力に関する研究として、化粧、美容整形、脱毛などの美容行為がいかに女性抑圧的なものであるか、そしてそれは「個人の選択」なのかについて、鋭い視点を提示しました。
かつてのコルセットや纏足から、化粧、脱毛などが今日では日常的に行われる美容行為に至るまで、どの時代においても女性は身体に負荷をかけながら「美」を追求し続けてきました。さらに、この20年間で美容行為の残虐性がますます深刻になっています。その一例として、私が中国の新聞社でインターン記者として携わった印象深い報道が挙げられます。それは、美容外科クリニックに潜入取材して違法に行われている下腿部筋萎縮術の実態についての調査報道でした。
下腿部筋萎縮術は膝のある神経を切断することで筋肉を萎縮させ、足を痩せる効果を図る手術で、激しい運動が難しくなる後遺症があるため、中国の法律で禁止されています。しかし、一部のクリニックは密かに手術を行い、SNSを通じて若い女性に大々的にアプローチしています。手術を受けたいふりをした私は、医師が私の神経をどのように切断するかの図解を見るだけでも足に鋭い痛みが走るように感じだが、足が痩せるという期待を胸に手術を受ける若い女性たちが、どれほど覚悟して手術台に乗ったのかを思うと、複雑な気持ちになってしまいました。
こうした明らかに健康に有害な美容行為だけでなく、かつて、化粧などの日常的な美容行為がフェミニストの批判の的でしたが、1990年代になると、女性を「エンパワーする」ものとして、徐々に新しい正統性を得るようになりました。それは美容行為を通じて、女性が自信を持って、前向きで積極的な姿勢を身につけることができるという認識が広まってきたからです。
もちろん、ポジティブな一面もありますが、これを単なる自由な選択として捉えるのは、非常に危険な考え方だと感じています。なぜなら、現代の社会統制は、個人に直接的に強制されるものではなく、宣伝広告などの「象徴的操作」によって達成され、個人の「自由意志」と「自由な選択」の形で表しているものだけだからです。
著者は美容行為の本質を「差異」を生み出す行為として解釈しています。言い換えれば、女性は美容行為を通じて、男性と異なる「女らしさ」を公に示すことによって客体化されています。そして、この「差異」こそが政治的なものであり、男性支配の基盤を成しているとされています。
東京の電車内で「痩せろ!」「脱毛しろ!」「整形しろ!」といった広告を目にするたびに、統一化された「美の基準」が徐々に女性たちの間で共有される新たな常識となる現象に対して、私は不安を感じています。こうした男性が行わなくて良い「自由選択」が、女性にとってどのような意味を持つのか、適切な問いかけがされないまま、美容行為が脱政治化されていると言えるでしょう。