博士課程の飯田です。今回は湯島天神(文京区)で見てきた不思議な伝統芸能「菊人形」について報告します。
湯島天神では毎年この時期に「菊まつり」が開かれています。上野かいわいの街灯には祭りを知らせるフラッグが下がっているので、目にした人もいるかもしれません。私が知ったのは、学校近くの掲示板。みると、愛好家が丹精込めて育てた菊といっしょに、菊人形が出展されているというではありませんか! あの異様なフォルム、独特の美意識に痺れた過去の記憶が一気に蘇りました。行かない手はありません。11月のある日、カメラ片手に乗り込みました。
新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が解除されて1カ月半。境内は参拝客や七五三を祝う親子であふれていましたが、私の目はあの不思議なものをひたすら探していました。どこにいるんだ、菊人形。進むこと約1分。額縁のように木で枠組みされた舞台が現れました。菊人形のコーナーでした。
「吉池」「ABAB」「文化シャッター」など協賛企業のバナー広告に囲まれて、160センチくらいはありそうな3体の菊人形が佇んでいました。もちろん、その無表情な顔から誰が誰かなど分かるわけがありません。足元の木札に目をやると、そこには「徳川慶喜」「千代」「渋沢栄一」の名前が。この3人は、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公たちでした。
3人は御多分に漏れず、顔や手、帯、草履以外の胴体部分を白や黄、ピンクの小さな菊で着飾られていました。しかし特にポーズをとっているようにはみえません。ただただ、菊の胴体を持った無表情な3人が、微妙な距離を置きながら並んでいる。うーん、なんてシュールなんだ。思わず唸ってしまったのは私だけではないはずです。そしてこう思ったでしょう。これってなにが楽しいんだ? なぜこんなことをしてしまうんだ?
手がかりを求めて、解説文に目をやりました。「江戸時代後期、園芸で有名な染井村(現在の豊島区駒込)が起源で、約150年前の安政時代に本郷の団子坂(文京区千駄木3丁目)周辺で、植木職人同士(菊氏)が競い合って人気歌舞伎役者の人形を菊の花で飾って見世物にしていたのが興行展示の始まりです」。菊人形という存在の不思議さには何も触れていないのでした。
祭りの人形といえば、私には動的なイメージがあります。社会人時代、博多祇園山笠という祭りに参加させてもらったことがありました。山笠(やま、とも読む)には、みんなで動かす「舁き山笠」(かきやま)と、見て楽しむ「飾り山笠」(かざりやま)というのがあるのですが、どちらも飾りとして武将の人形が乗ることが多く、その表情は猛々しく、衣装といったら本当の博多織で作る豪華絢爛なものでした。本当に見ているだけで心がウキウキしてきました。
それに比べると、静的で、素朴で、はかなさすら感じさせる菊人形は、その対極にある感じを抱かせます。人々は菊人形に何をみるのだろう−。しかしその後、ある人の解説に触れ、なるほどと膝を叩くことになります。それは加藤秀俊さんの『見世物からテレビへ』(岩波新書)でした。
加藤さんは菊人形を扱った章で、菊人形とは「スチルの美学」「決定的瞬間の美学」であると主張しました。菊人形は「歌舞伎というクッションをあいだにおくことによって、その「瞬間」をより様式的、かつ抽象的にして」おり、歌舞伎の型の本質が「連続のなかにある突然の、そして瞬間的な停止」であるなら、「菊人形は、歴史の決定的瞬間を素朴リアリズムで再現するのでなく、歌舞伎のつくった史劇の美学を媒介にして様式的に再現するのだ」というのです。
つまり、菊人形に動きがないのではなく、歌舞伎の動きの中にある止まった瞬間(例えば「見得を切る」といった)、その決定的瞬間を抽象的な次元で表現する芸術が、菊人形なんだ−という加藤さんの解釈は慧眼だと思います。時代でいえば江戸時代末期でしょうが、その頃は「あのシーンだね」と見物客が想像できるほど、歌舞伎は民衆に近い芸術であり、歌舞伎の物語は民衆の共通文化になっていたということです。
とすると、今の人びとにとって共通の物語を考えた場合は、NHK大河ドラマが一応最大公約数であり、その中のクライマックスのシーン(とすると、3人が並んだあのシーンは一つの山場だったんでしょうね…)を抽象的に表現した、というのが今回の菊人形ということなんでしょう。うーむ、奥が深すぎる。ここでいう「共通文化」なるものはこれから、もっと先細っていくことは間違いなさそうです。そうなった時、わたしたちは何によって束ねられるのでしょうか。
帰りがけ、法被を着た文京愛菊会の人と雑談しました。菊人形を含めた約2千株(湯島天神ホームページより)の作品をつくっているのは「30人くらい」と聞き、声を上げて驚いてしまいました。大型の作品は自分の土地がないとできないし、年中世話をしてやらないといい花は咲かないそうです。ほかの分野と同様、この世界も高齢化と後継者不足が深刻で、「その人が亡くなったら誰もできなくなる」様式がいくつもあるんだとか。色々考えさせられた、冬晴れの午後でした。