こんにちは。今回のフィールドレビューを担当いたします。修士1年の小玉です。
すでにいろいろなところで宣伝されていますが、2020年10月からソニーミュージック六本木ミュージアムで、ジョン・レノンとオノヨーコの半生が綴られた展覧会「DOUBLE FANTASY」が開かれています。最近、延長が決定し、2021年2月18日まで開催されるそうです。私は去年11月に行ってきました。
館内では「Power to the People」や「Imagine」など代表曲があちこちで流れ、ヨーコさんの芸術作品やテレビの出演映像など2人にまつわる品々が展示されています。壁には2人と、ポール・マッカートニーなど関係者の言葉が刻まれています。そのほか展示パネルなどを通して、2人の生い立ちから出会い、そして、1960年代、70年代の反戦運動や公民権運動での2人の活動について知ることができます。
この展覧会は2年前の2018年に、ジョンの故郷であるイギリスのリヴァプールで開催されていました。そして今回、ヨーコさんの故郷である東京にやってきたのです。実は、そのリヴァプールの展覧会にも私は行っています。
というのも、私は学部生時代にイギリスに留学したことがあり、そのときのクリスマス休暇でリヴァプールを訪れました。イングランド北西部に位置するリヴァプールは、産業革命で鉄道が開通したことでも有名な歴史ある都市で、数多くの博物館があります。その中のひとつがリヴァプール博物館(Museum of Liverpool)で、「DOUBLE FANTASY」はそこで開催されていました。私はこの展覧会が開かれていることを知らず、たまたま遭遇しました。特にビートルズやヨーコさんのファンでもなかったのですが、日本人が展示されていることに少し嬉しさを感じ、なんとなく入場しました。そして思いもよらず、瞬く間に2人の虜になりました。
まず、ヨーコさんの作品に惹かれました。ヨーコさんは作品について、それを見にくる人がいて参加して初めて作品になるとテレビショーで語っています。そのひとつに1966年に展示された作品「釘を打つための絵(Painting to Hammer a Nail)」があります。来館者は5シリングで誰でも絵に釘を打っていいというものです。反体制的な運動が世界中で巻き起こっていた激動の時代の中でした。ヨーコさんは、壁を壊す代わりに釘を打ちましょうと言っていたのです。展示パネルのひとつに、「体制がどう反撃したらいいのかわからないくらい、体制的思考からかけ離れた手段を使って体制に挑むのが好きよ」という言葉がありました。なんらかの前提とされてきた規範を少しずらすという、パフォーマティブな思想がヨーコさんの活動にあるのではないかと感じられます。
また、性差別が今より根深い時代にジョンがフェミニズム的思想を実践していたことに驚きました。ジョンが、恋人であるヨーコさんの作品『Grapefruit』をネタにして書いた曲(これがあの「Imagine」です)を我が物のように発表したことをのちにきちんと告白したという話は、当時の男性としては珍しかったと思います。また、息子が生まれて5年間育児に専念したそうですが、これはイクメンの先駆けでしょう。展示の一つに、「僕はマーロン・ブランドのようになりたい自分と繊細な詩人、つまりオスカー・ワイルドのようにしなやかで女性的な自分とに引き裂かれていた。その二つの間で常に揺れ動いていて、大抵は男らしい方を選んでいたんだ。もう片方の自分を人に見せるなんて、死も同然だったから」とありました。ジョンもまた、男性性の呪縛に苦しんでいたのかもしれません。ちなみに、イギリスの新聞メディア、ガーディアンの記事を読んでいたら、ヨーコさんが「ジョンはフェミニストだ」と語る1980年のBBCラジオの音源を発見しました。ラジオで、「男性社会を生き抜く上で女性が苦闘していることに気づいている人は誰でもフェミニストだ」とヨーコさんは言います。2014年にエマ・ワトソンが国連という大舞台で演説した話を、すでにヨーコさんは一国のラジオでさらりと語っていたのです。
さて、この展覧会はジョンの死とその追悼の展示で締め括られますが、このコーナーでは「Imagine」が流されます。この曲では、宗教や国、財産もなく、誰もが平和に暮らしているのを想像してみようと謳われます。想像することは、思い込みや偏見、そこから生まれる不平等を乗り越えようとする行為だと思います。私はこの曲を改めて聴き直し、人種差別やベトナム戦争への抵抗運動を行うなど、差別や不条理な規則に疑問を投げかけていく2人の前衛的な姿勢を物語っていると感じました。
以上、ここまで書いてきたように、たまたま遭遇してなんとなく入場しただけのこの展覧会で、私は思いがけず多くのものを持ち帰ることになりました。そして2年後の2020年11月、展覧会が来日したという情報を得て私は歓喜し、家族を誘って2度目の来館を果たしました。再び「Imagine」を聴きながら私は、コロナ禍で分断が加速している現在、もしジョンが生きていたらどんなムーブメントを起こしていただろうと胸が痛みました。しかし、今回の東京の展覧会に対する報道をみていると、分断社会を危惧し、ジョンの思想を引き継ごうという意見がみられました。未来はそう暗くもないかもしれません。
最後に、ヨーコさんは当時から、ビートルズを破壊した魔女などとメディアで言われ、リヴァプールで展覧会が開催されたときも、そうした意見が特にイギリスメディアで散見されました。一方、日本ではポジティブな内容の記事が多い印象を受けます。展示内容もまた、東京の展覧会の方はヨーコさんの作品の展示がより充実していました。今回の展覧会をめぐって、イギリスと日本における差異が明らかにみられることもまた興味深いです。
ところで、新年が明けて間もない頃、私は郵便局で干支の丑のイラストが描かれたキットカットを購入しました。そこに書かれていたセリフにほっこりしたので、これをひとつ、今年の抱負にしようと思います。2021年、「最高にウシシな年に!」しましょう。
参考資料
「DOUBLE FANTASY」公式サイト,(2021年1月14日取得,https://doublefantasy.co.jp).
Ben Beaumont-Thoma, 2017, “Yoko Ono could get songwriting credit for Imagine – 46 years late”, The Guardian, Thursday 15th June 2017,(2021年1月14日取得,https://www.theguardian.com/culture/2017/jun/15/yoko-ono-john-lennon-imagine-songwriting-credit).