コロナ禍と文化を支える「場」の存在

皆さん、こんにちは。今日のフィールドレビューは、博士課程の森田がお届けいたします。

新型コロナウイルスが流行して以降、これまでの社会生活が一変したという方は少なくないと思います。私の場合、もともと自宅で研究作業をすることが多かったため、生活そのものは大きく変化しなかったのですが、そのなかでも実感させられたのは、世の中の文化を支える「場」が閉じてしまうことによる影響の大きさでした。

最も身近なところで困ったのは、国会図書館や各種大学図書館がすべて閉まってしまったことで、ちょうど締め切りのある論文を執筆しているなかで、必要な文献にアクセスできないという事態に陥りました。一部の公共図書館の郵送複写サービスなども活用しましたが、その手続きには非常に時間がかかります。結局、新旧を問わずインターネットで購入できるものはひたすら購入する、という手段をとることになりました。

そのなかで一つ発見だったのは、今までは図書館で閲覧することを前提としていた戦時期の雑誌なども、思った以上に古書店で気軽に出回っているという事実です。それも、「日本の古本屋」というウェブサイトで検索するだけで、登録されている全国の古書店からネット経由で購入することができ、好奇心も手伝ってたくさん買い求めてしまいました。おかげで、部屋の一角が昔へタイムスリップしたような雰囲気になりました。

morita kosho

こうした経験も面白いものではありますが、そのコストや効率性などを考えると、やはり大量の文献をまとめて自由に閲覧できる図書館という「場」の貴重さを痛感せざるを得ません。新たな論文の執筆という作業も、過去のあらゆる議論がアーカイブされている図書館の存在があるからこそ成り立っているのだ、ということを再認識しました。

また、図書館だけではなく、映画館、美術館、ライブハウス、お気に入りのお店といった、日々の生活を豊かにしてくれている多くの文化的な「場」が閉鎖されてしまい、今後の存続も危ぶまれるという状況に直面しました。それによって、こうした「場」とそこを運営する方々、そこに集う人や物のネットワークといった存在に支えられて今まで過ごしてきたのだということも、あらためて実感するに至りました。

これから、新たなスタイルの試行錯誤は続いていくことになりますが、たとえ形が変わったとしても、こうした「場」を生み出していける世の中であってほしいと思います。