今回のフィールドレビューはベルリン国際映画祭主演女優賞と監督賞に輝いた韓国映画『夜の浜辺でひとり』(2017年)とその独特な受容方法について触れたいと思います。
『夜の浜辺でひとり』はキム・ミニが演じたヒロインのヨンヒが、既婚の映画監督との不倫スキャンダルにより、女優のキャリアを捨て韓国からハンブルクへ逃げて、また韓国に戻って同僚たちとの飲み会を通して女優復帰することを考え始める経緯を描くものです。映画の最後は、ヨンヒと監督は飲み会でお互いに対する燃えるような愛を告白しましたが、これはただ砂浜に横たわっているヨンヒの一炊の夢として回収する構図となっています。
この映画は長回しが多用されたり、ストーリーが飛躍したりするため、一体何を描いているのかと迷った観衆が最初少なくなかったようです。しかし、映画上映後の記者会見では監督のホン・サンスは正々堂々とキム・ミニとの不倫関係を公開したことにより、この映画はもしかして監督と女優の不倫恋愛の実情を浮き彫りにするものではないかと多くの観衆が驚きながら納得しました。
ホンとキムは、当時のベルリン映画祭に高く評価され、ついに二人とも銀熊賞を折桂しました。キムは授賞式で「All thanks to Hong Sangsoo, my director in this movie, I honor you and I love you.」という謝辞を述べ、この映画と二人の不倫関係を非議する雰囲気を再び煽り立てようとしました。
このような映画テクストと不倫関係という創作のコンテキストと関連して映画を読み取る空気は実際監督のホンが意図的に作り出したものです。この映画の英語タイトルはWalt Whitmanの詩『On the Beach at Night Alone』(1856年)のタイトルと同じです。この詩は夜の浜辺でひとりでいると、一つの広大な相似性が世の中のすべての異質なものを統一し連動させるように感じてしまうイメージを描いています。
一方、ホンは記者会見で「夜色が沈んでいる浜辺にいると、宇宙の万物と支障なく連結しているようになる時、世間の情理、規則と理性が全部消えてしまうことで、ついに本来の自分を感じられるようになってしまう。」と述べたように、この映画におけるヒロイン一人が浜辺にいるシーンの意味が明らかにされました。
ホンは映画のタイトルの意味に沿って、映画のテクストと現実における不倫関係のコンテキストを連結しようとしています。現実の中で、ホンは離婚訴訟を提起しつつ、キムとの同棲生活を送っていますが、映画の中では、監督がヨンヒと別れて家庭に回帰してしまいました。映画の最後にある監督の告白すら永遠に実現できないヨンヒの夢として構図されています。
こうした世間の情理と道徳に従う映画の構図と現実の対立こそ、メディアの限界をむき出しています。15世紀の印刷技術の発展により、一つの宗教、一つの価値観、一つの思想の潮流が世界範囲で普及されていきました。近世のメディアを通して普遍的価値(universal value)がしだいに国境と文化と民族の壁を越境し世界の各国では樹立できるようになりました。現代社会では、表面に多種多様な価値観が共存できるように見えますが、裏面には必ず普遍的価値と関係する唯一の正解が存在しているような形態となりつつあっています。
法律上の夫妻関係であれ投票できる民主主義の体制であれ、大衆は絶対的な正義がこれしかないと思い込んでしまうのは、不倫関係を切ない結果にした『夜の浜辺でひとり』が代表とする世間のメディアの妥協によるものでしょう。こうしたあげく、夫妻関係の破綻の経緯や投票権以外の自由の実情などはどんどん視野から消えてしまうことで、思考の自由ひいては自分の感覚も失ってしまいます。
ホン・サンスとキム・ミニは、プライベートのコンテキストを用いて映画というメディアの限界を補足しようとした試みが、世間の絶対的な正義を挑戦する一撃である一方、従来の普遍的価値を崩壊させる現代社会のメディアの発展の行き先の可能性を提示する役割も果たしているのではないでしょうか。