大東亜共栄圏における漫画「翼賛一家」

今回は特任研究員の鈴木が担当します。以前、こちらで「翼賛一家」という漫画について紹介させていただきました。 今回はこの漫画が日本だけではなく、台湾などの旧植民地地域に広がっていたということを手掛かりに、漫画というものが空間的に広がっていくことの条件を考えてみたいと思います。

「翼賛一家」とは1940年12月から1941年前半にかけて、新聞や雑誌などで連載された漫画です。これは大政翼賛会宣伝部と漫画家の集団が協力して制作したもので、そこには大政翼賛運動の精神を漫画によって普及啓蒙する目的がありました。

漫画「翼賛一家」のキャラクター利用が大政翼賛会によって推奨されたことで、このキャラクターは新聞雑誌・紙芝居・人形劇・レコード・映画・ラジオなど様々な媒体で活用されます。さてここで面白いのが、こうした動きは内地にとどまるものではなかったということです。

例えば台湾では台湾新聞や朝日新聞外地版などでの連載が確認されています。また満州でも「翼賛一家」を題材にしたレコードが発売されていました。ほか、大陸新報など華中や華北で発行された新聞にも翼賛一家の掲載がありました。こうした「翼賛一家」の旧植民地地域の広がりとあわせて考えると面白いのが、台湾や満州などの地域で「漫画講習会」という漫画の描き方を現地の人々に指南する会が多く開かれていたことです。漫画の描き方を講習し、描きやすいキャラクターも用意する。このことによって、日本が掲げる「大東亜共栄圏」の理念を伝達するというプロパガンダ活動に、読者も動員することが目指されたのです。

しかしここで考えてみたいのが、漫画のキャラクターが展開するためには、特有の条件があるということです。いまも状況はそんなに変わっていませんが、学校教育あるいは専門教育の場で、漫画の読み方・描き方を教える場はありませんでした。漫画のリテラシーを養う場がないということです。それではこの漫画をプロパガンダに活用しようとすると、何が必要となるのか。先に漫画講習会があったとも述べましたが、何より必要なのはその描き方を規格化することです。誰でも簡単に描くことができるように、技術として抽象化する。そうすることではじめて、漫画を描いたことのない読者が、描き手に変わる第一歩を用意できるのです。

(『朝日新聞』朝刊1940年12月8日)

しかしこのように漫画のキャラクターの描き方を過度に抽象化することで、そこに付随する問題が2つ生じます。第一は、キャラクターの個性のようなものが減少するということです。翼賛一家のキャラクターは誰にでも描けるような姿態をしていますが、それゆえに、これが例えばほかのキャラクターと混ざって描かれたとき、「翼賛一家の〇〇さん」と判定することが非常に難しくなってきます。同一性の判定が困難になるということです。「翼賛一家」のキャラクターはその描きやすさと、キャラクターの個性とが限界までせめぎあった結果の産物なのです。これは、特に翼賛一家を産業的に(「メディアミックス」として)展開しようとしたとき、困難として前面化してきます。

第二は、キャラクターの描き方が技術として抽象化されたことで、理念と一体化したものではなくなったということです。計画段階で「翼賛一家」は大政翼賛運動の精神あるいは「大東亜共栄圏」の理念と密接に結びついたものであったとしても、技術はそれらと分離可能なものになったのです。具体的な新聞雑誌掲載の翼賛一家の応用例をみても、国策や大東亜共栄圏の理念を伝達することを主眼としない作品もかなり多くあります。これは翼賛一家がローカライズする際の可能性だけを強調したものではなく、どのような文脈にも応用が可能なものとなったということです。

「翼賛一家」はまだまだ面白い要素があるように思います。今後はこの広がりを空間的に、もう少し具体的に可視化していきたいと思います。

 参考文献:大塚英志 , 2018,『大政翼賛会のメディアミックス』平凡社