先月、祖母の法事で鳥取にある祖父母宅を訪れました。
一通りの法要を済ませたあとは、いつものように親戚一同が集まり、昔話に花を咲かせます。話の輪に入れるはずもないので、従兄弟の子供たちと遊んでいると、ふいに一番上の子から祖母についての質問が飛んで来ました。「ねえ、おばあちゃんは昔なにしとったん?」
仏壇をなんとなくみやりながら、「おばあちゃんはずっと農家しとったよ」と答えるも、それ以上のことが出てこずいかに祖母のことを何も知らなかったかを思い知らされたのでした。
どのような少女時代を送ったのか、戦争中はどこでどのように過ごしたのか、いつ祖父と知り合ったのか、農家の嫁としてどんな日々を送ったのか。祖母の口から聞くことは、もう二度と出来ないのです。
祖父の語りを元気なうちに聞いておきたい、と遅ればせながら思ったのはこうした経緯からでした。
社会学における質的調査のひとつで、個人の生い立ちや人生の語りを聞いて社会について考える調査法の一つに、オーラルヒストリーが挙げられます。
調査と呼ぶにはあまりにも個人的で自己満足のためのものですが、祖父に生まれた日から幼年期、戦時中の少年時代、祖母と出会い3人の子供と5人の孫、3人のひ孫をもうけるまでの生活史の聞き取りをすることにしたのです。
私の祖父は昭和6年、二番目の子供として生まれました。
戦時中は近所に飛行場があって、少年航空隊としての訓練を受けていて何度かグライダーを飛ばしたこと。
食べ盛りだった祖父には食糧難が何より辛い思い出で、これからは食べるものに困ることのないように農家になったこと。
この地域一帯の農家は、みんな黒牛を飼っていてトラクターの代わりに畑を耕したこと。
祖母は戦時中は満州にいて、引き揚げてすぐ祖父と出会い結婚したこと。本当は教師になりたかったこと。
自分ができなかった代わりに、子供は3人とも大学まで出して勉強させたこと。
今まで祖父を”祖父”としてしか見れていなかった私でしたが、ゆっくりとひとつひとつ手繰り寄せるような祖父の語りには平凡で確かな人生が詰まっていて、小津映画を見てるような、そんな静かで豊かな時間でした。