旧満洲映画協会の映画人インタビュー

今回のフィールドレビューは博士課程の王楽が担当します。今年の9月に満洲映画協会存命者の中国人映画人をインタビューしてきました。

2016年9月に、中国電影芸術研究中心と北京大学芸術学院の協力で、中国東北部の長春で旧満洲映画協会(満映)出身の中国人美術監督L氏をインタビューしました。ここでは、インタビューの内容を紹介するわけではなく、インタビュー実施に関する周辺的なことについてお話したいと思います。

今回は主に中国電影芸術研究中心を通して、L氏とコンタクトを取ることができました。中国電影芸術研究中心は「中国電影人口述史プロジェクト」を行っています。これは新中国建国初期から現在までの映画産業の発展に大きく貢献してきた、満映出身の映画人を含める中国人映画人を対象とするオーラルヒストリーのプロジェクトです。満映出身の存命の映画人がすべて90歳以上で、卒寿を越えた老人ですが、今回のインタビュー対象のL氏は94歳に見えずに、頭の回転も速くて、私の質問におけるロジックの矛盾を鋭く指摘してくださった方です。L氏は18歳から満映の電影専科学校に入学してから、(国共戦争の四年間を含めず)現在まで、ずっと長春電影製作廠(長影)の旧址博物館(旧満映の本館)の近くにある職員宿舎区に住んでおられます。たくさんの満映出身の映画人も、亡くなるまでずっと同じ建物に住まわれていました。


長春電影製作廠の正門、奥は旧址博物館

旧満映本館三階会議室のまぐさ飾り/満映全体的な施設の建築物を描くガラス絵

L氏は1940年以降の満映の娯民映画(劇映画)製作に参加しました。満映の製作方針改革により、娯民映画がすでにイデオロギー的な説得を目的とせず、興行本位の娯楽性に中心を置いたジャンルになった、と氏は理解されておられました。L氏は満映で身につけた劇映画の映画美術の技術を、残留日本人映画人と一緒に新中国の映画事業に取り組んできました。


L氏がご呈示になった主要作品の業績表

博物館における残留日本人映画人を紹介するポスター

L氏の業績表の通り、長影は設立時からずっと新中国のイデオロギーの宣伝を主要任務として担っています。そんな長影も、計画経済から市場本位の経済へと、中国の経済体制改革が激しく進行していた中、倒産寸前になりました。長影は80年代まで、中国各地の映画制作会社の設立へ人材を提供したり、中国最先端の七つの大型スタジオ、アジアに規模の一番大きな小道具倉庫と現像所を作り上げたりしましたが、1993年に政府は計画的かつ一括的に映画作品を購入、配給するという従来の計画経済体制時代の政策を中止させ、各映画会社が自らの損益を負担しなければならないという路線へと調整しはじめました。結果としては、長影は「名」だけ保留し、事実上解散してしまい、スタジオなどの施設の土地を販売することで稼いだ資本金で、映画と関係ない遊び場のテーマパークなどをつくりあげました。二十年間を経た現在、ようやくテーマパークなどの経営で儲けた利益剰余金で、映画製作を本番に再開することができるようになったのです。

こうして、現在興行本位の現代市民生活を中心とする各種類の劇映画を盛んに製作している長影は、今後いかに中国映画産業の中で自分自身を位置づけていくかについて、インタビュー実施直前の9月10日に長影を見学した中央宣伝部部長劉奇葆氏の発言からすこしわかるようになりました。

「新中国映画産業の揺籃としての長影は、重要な地位を占めています。映画製作を主要任務として位置づけなければならなりません。現実題材、農村題材の映画ジャンルに重点を置くべきです。党、祖国、人民と英雄を謳歌する代表的な作品を製作しなければなりません。」劉氏が強調された上記の発言がとても印象に残りました。