戦前の漫画雑誌

みなさん、こんにちは。今回のフィールドレビューは修士2年の鈴木が担当させていただきます。さて、いきなりの私事で恐縮ですが、修士論文を何とか1月に提出することが出来ました。論文を書くにあたってお世話になった皆様、本当にありがとうございました。そこで以下では、修士論文執筆と審査を通じて考えたことを述べていきたいと思います。

修論では、漫画家たちがつくった集団に注目し、彼らの活動とその背景から、漫画や漫画家らを取り巻く社会状況がいったいどのようなものだったのか、彼らがそこにいかに対応していったのかを明らかにしたいと考えていました。明治から昭和前期というのは激動の時代で、そのただなかにあって必死に時代の流れを読み、そこに適合しようとしていた彼らの営為をよむことは、非常に面白い作業でした。

さて、私の修論の「主人公」ともいえる漫画家集団ですが、代表的なものとしては、以下のようなものが挙げられます。

・ 東京漫画会(1915年結成、岡本一平など)
・ 日本漫画会(1923年結成、岡本一平など)
・ 日本漫画家連盟(1926年結成、下川凹天・柳瀬正夢など)
・ 新漫画派集団(1932年結成、近藤日出造・横山隆一など)
・ 新日本漫画家協会(1940年結成、近藤日出造・加藤悦朗など)
・ 日本漫画奉公会(1943年結成、岡本一平・北澤楽天など)

これらの代表的な集団に関しては、資料も(完全にではありませんが)残存し、研究も進んでいるのですが、これ以外にも、特に1930年代後半に、小規模な漫画家集団が同時多発的に誕生し、まさに濫立状態にあったことがわかっています。

しかしこうした小規模の漫画家集団に関しては、アクセスが容易な資料には記述も少なく、またそもそも彼らが離合集散を繰り返しており集団として一定の姿をなしていないため、なかなか実態をつかむことが難しくなっています。

このように、悩ましい漫画家集団ではありますが、この際に導きの糸となるのが、当時の漫画家たちが出していた漫画雑誌です。これは彼らの活動の主なフィールドであった新聞や商業雑誌(例えば『中央美術』や『少年倶楽部』など)とは別に、漫画家自身が執筆から編集、ときには発行までを担う雑誌でした。いまでいう「同人誌」に近いものだった、あるいはその先駆けだった、と位置づけることも可能かもしれません。具体的には以下のようなものが挙げられます。


これは1917年に、東京漫画会が主体となって発行した雑誌、『漫画』です。


これは1926年に、日本漫画家連盟が主体となって発行した雑誌、『ユウモア』です。


これは1940年に、新日本漫画家協会が主体となって発行した雑誌、『漫画』です。

これらの漫画雑誌においては、当時の漫画や漫画家についての漫画家自身の論考も多く発表されているほか、新聞や商業雑誌では発表しづらいという意味で、挑戦的な作品も多く掲載されています。

例えば、漫画家の岡本一平は、漫画家だって、新聞や商業雑誌に出すような「低俗」なものだけではなく、「美術」的に価値の高い作品も書けるのだということを示すために、漫画雑誌を発行したという趣旨の発言をしています。

しかし残念ながら、こうした漫画雑誌についても散逸が進み、現状、全てを手に入れ、閲覧できるものではありません。こうした状況を受けて、マンガアーカイブの必要性と意義、そして限界についての議論が高まっています。戦前の漫画雑誌は、確かに面白い。「私」にとっては充分に意義がある。

しかしそれを残し後世に問うことは、本当に必要なのか?私なりの解釈では、マンガアーカイブをめぐる議論にはこんな論点があるのではないかと思います。全ての資料を網羅することが必ずしも「正しい」とは言い切れない状況ですが、研究や教育利用などのかたちで、残す意義や新たな価値を社会に提示していくことが重要なのかな、とも今は思っています。

概念の曖昧さや、個別の漫画作品への踏み込みが不十分など、課題の多く残る修士論文ではありましたが、今後は、こうした現代の社会との接合を意識して、問題意識をさらにつきつめていけたらな、と思っています。