今回のフィールドレビューは、現役テレビマンでもある博士課程の松井英光が、3月末に行われた台湾大学・新聞研究所への訪問・交流についてレポートします。
2月の初めに丹羽先生より、林香里先生から台湾大学・新聞研究所訪問のお誘いが来ているというメールがありました。時期が3月末というテレビ局が最も多忙を極める時期で、スケジュール調整が可能か微妙な状況だったのですが、メールによると、訪問する台湾大学ジャーナリズム研究所は、米国コロンビア大学がテコ入れしてつくった実務的なジャーナリズムスクールであり、最近は映像制作などに力を入れているということで、まさに私の現況や研究テーマと合致していました。また、交流内容も初日が大学同士の交流として学生のプレゼンテーションとディスカッション、その後には台湾のテレビ局訪問と充実していたので、万難を排して参加することになりました。
まず、国立台湾大学の概要ですが、私が到着した台湾・松山空港からタクシーでわずか15分の距離にあり、台北市街のほぼ中心部に位置する便利な立地です。そもそも、1928年の日本統治時代に設立された台北帝国大学が前身であり、旧図書館などに当時の名残が強く残っています。そして、現在も台湾ナンバーワンの名門校であり、世界の大学ランキングでも第87位にランクインしています。キャンパスは広大で、学生ガイドによるキャンパスツアーに参加したのですが、構内を東西に走るヤシ並木通りは壮観で、学部生時代に留学していたスタンフォード大学を彷彿とさせるものでした。
そんなキャンパス内に、我々が滞在した「鹿鳴雅舎」というホテルがあり、校内の中庭では結婚を控えたウェディング姿のカップルの写真撮影が行われるなど、本当にリベラルで快適な大学でした。
そして、今回は丹羽研究室からもう一人、松山君も一緒に参加したのですが、その他、東京大学から参加した学生は、中国と韓国の女子学生が2人ずつ、中国の男子学生が1人であり、日本人男子学生は台湾大学に留学している福くんを除くと我々だけで、なんともグローバルで面白いメンバーとなりました。
台湾大学・新聞研究所サイドで我々を迎えて頂いたのは彭文正先生で、本人曰く「30年前の有名テレビキャスターで、生徒の親の世代は誰もが知っている」元大物キャスターということでした。確かに、彭文正先生はそれを裏付けるように日本語や韓国語をタイミングよく駆使しながら、ユーモアーたっぷりにお話をして下さり、外見・内面ともに魅力的な先生でした。
この台湾大学新聞研究所との合同研究会は、まず午前中に林先生と彭先生が基調講演をされ、その後午後に参加した生徒8人全員が、一人6分の持ち時間でそれぞれの研究テーマを英語で発表し、それぞれ質疑応答するという形式でした。ディスカッションは大変盛り上がり、時間の不足が残念でした。台湾大学の学生も2人が発表を行い、フェイスブック研究など新たなメディア関連のものもありました。
ただ、個人的には、自らの発表において、台湾のテレビメディア状況を事前に精査していなかったので、地上波とBS・CSの境目がほとんどない台湾では、私の発表内容が不可思議なものとなってしまい、お互いの共通言語の英語で話すという制約の中での研究発表では、双方のメディア状況に対する共通認識を構築する必要性を感じました。次回以降の国際交流における反省点としたいです。
また、午前中と午後の間に、台湾大学ご自慢のテレビスタジオを見せて頂きましたが、流石に実学を重んじる学校で、3カメをスイッチングでき、また、クロマキーベースで撮影される実に本格的な報道型スタジオでした。日本では、テレビ番組制作の専門学校や広島経済大学などに見られるものの、他の大学には滅多にない施設なので、東京大学にぜひ導入して頂きたいものです。
彭先生によると、台湾大学新聞研究所は修士課程までしかない中で、卒業生の約半数がマスコミに就職するらしく、 「さすがに実務的、すごいですねぇ」とランチの折に賞嘆したのですが、「行こうと思えば100%いけます。台湾はマスコミ業界はサラリーが悪いので行きませんが」と返されてしまい、またしても国によるバックグランドの違いに驚かされました。
この2日後、一行は台湾の壱テレビ、アップル・ディリー、Next Magazineなどを見学し、夕食は、彭先生のご自宅に招待されたのでありますが、テレビマンとしてのカラータイマーが限界を超え、残念ながら参加できず、一人寂しく帰国の途についたのでした。
最後に、このような素晴らしい交流に参加させて下さった林先生には特に感謝しております。「大航海プログラム」という制度を、名実ともに有効活用させる場を作って頂きましたが、その交流を一過性のものにしないように、今後の活動に生かしていきたいと思います。 日本で諸々取り纏めて頂いた葛星さん、そして台湾でコーディネートして頂いた福さんも、本当に有難うございました。