こんにちは!修士2年の陳です。無事に修論を書き終え、ようやく学生生活の終わりを実感し始めています。とはいえ、ゆっくり余韻に浸る間もなく、新生活の準備に追われる日々です。先日ようやく引っ越しが終わり、部屋の段ボールを片付けながら、「ああ、本当に生活が変わるんだな」とぼんやり考えていました。そんなふうにバタバタとした毎日を送る中で、ふと頭に浮かんできたのが、「大人ってなんだろう?」という問いでした。
きっかけの一つは、修論で取り上げたサッポロビールのCMシリーズ「大人エレベーター」です。このシリーズでは、俳優の妻夫木聡が「大人エレベーター」に乗り込み、年齢の違うさまざまな「大人」たちと出会い、価値観や人生観について語り合います。年齢を重ねること、経験を積むこと、誰かに「大人」と呼ばれること。その意味を問いかけるような設定が印象的で、長年にわたって多くの人に親しまれてきました。
そう考えてみると、「大人」をテーマにしたマーケティングは意外と多いものです。JR東日本の「大人の休日倶楽部」もそうですし、高級チョコレートや、最近ではメガネの広告などでも、「大人の〇〇」という言葉をよく目にします。

広告の中で描かれる「大人」は、単なる年齢区分ではありません。そこには、落ち着きや余裕、経済力、責任、洗練といったイメージが重ねられています。大人というものは、生物学的な成熟だけで決まるわけではなく、社会の中で作られていくカテゴリーなのだと思います。私たちはある年齢に達すると自然に大人になるのではなく、「こうあるべき」という規範の中で、大人らしさを少しずつ身につけていくのです。
そんなことを考えていたとき、台湾の友人から面白い言葉を聞きました。それが「初級大人」と「上級大人」です。本来なら旧正月の時期に台湾へ帰省し、友人たちと会うのですが、今年は忙しくて帰ることができませんでした。代わりにオンラインで近況を話しているとき、この言葉を教えてもらったのです。
台湾を含む中華圏では、旧正月は一年の中で最も大きな家族行事です。親戚が一堂に集まり、食事をしながら近況を報告し合う。そしてこの場では、ほぼ必ずといっていいほど、「今どこで働いているの?」、「給料はどれくらい?」、「恋人はいるの?」といった、仕事や結婚についての質問が飛んできます。
私たち25、26歳の世代は、社会に出てすでに三、四年が経つ人も多く、親戚の集まりでは自然と「もう大人だね」と言われる立場になります。年下の、まだ学生であるいとこたちからも、「大人」として見られるようになっています。しかし当の本人たちはその言葉にどこか違和感を覚えています。まだ自分は、大人になりきれていない気がするのです。
そんな微妙な心境を表す言葉として、同世代の間で冗談半分に使われ始めたのが「初級大人」という表現でした。「初級大人」とは、年齢的にはすでに大人でありながら、経済的にも精神的にもまだ発展途上で、どこか子どもっぽさを残している状態を指します。社会人として働いてはいるものの、将来への不安を抱え、まだ自分の人生を模索している段階、といったニュアンスです。それに対して「上級大人」とは、安定した収入があり、結婚や住宅購入といったライフイベントを経験し、精神的にも自立していると見なされる人たちのことを指します。多くの場合、それは私たちの親世代をイメージした言葉です。
面白いのは、これが厳密な定義ではなく、あくまで同世代のあいだで共有される、半分冗談のようなカテゴリーだというところです。この軽い言葉遊びの中に、私たちの本音がにじんでいる気がしました。社会からは大人として扱われるのに、自分ではまだその役割を十分に引き受けきれていないと感じています。そのズレを、私たちは「初級」と「上級」というレベル分けによって、少しユーモラスに表現しているのかもしれません。
社会学では、ライフコースの多様化や個人化が進む中で、成人への移行が以前より曖昧になっていることが指摘されています。かつては、就職・結婚といった出来事が「大人になる節目」として共有されていましたが、今は、そのタイミングも順序も人それぞれです。だからこそ、「大人」という状態は、はっきりとした到達点ではなく、「プロセス」になっているのかもしれません。
広告の中の大人は、余裕があり、自分を知り、世界を理解しているような、どこか完成形の存在として描かれています。しかし現実の私たちは、まだ「初級」のまま迷っているような感覚があります。そのギャップがあるからこそ、「大人」という言葉は魅力的でありながら、少しプレッシャーも含んでいるのだと思います。
修論を書き終え、「いよいよ社会に出て大人になるんだね」と言われる今、自分は果たしてどのような「大人」になるのだろう、と考えたりもします。正直なところ、その答えはまだ自分の中にありません。ただ、「大人」とは、どこかに到達して完成するものではなく、社会の中で役割を引き受けながら、少しずつ形づくられていくものなのかもしれません。これからも人生の経験を重ねるなかで、「大人」という言葉の意味も、自分の中で少しずつ変わっていくのだろうと思います。