修士課程の蓼沼です。私は先月提出した修士論文の資料として、2000年代以降の自己啓発本を使用しました。執筆に疲れたとき、書店や古本屋の自己啓発本コーナーに立ち寄ってぼんやりと書棚を眺めていたので、今回はそこで気づいたことをテーマに書こうと思います。
自己啓発とは、自分自身の望ましいあり方や考え方、行動の仕方、生き方の啓発を目的とするような行いを指します1。本のタイトルには、「人生を変える」「夢を叶える」「成長する」「愛される」「ラクに生きる」といった文言が並んでいます。
自己啓発本がベースとしている知には、さまざまなものがあります。心理学や脳科学を元にしたもの、哲学に基づくもの、宗教に関連するもの、成功した人物の思考や習慣から知見を導いたものなどが代表的です。
私が気になっているのは、最近刊行されている本のなかに、ビジネス・経営の知識を活かしてよりよい生き方をしようとするものがよく見られることです2。大きく2つに分けて紹介します。
特定の職業の思考・行動を生き方に活かす
ひとつは、ある職業の思考様式や行動パターンを生き方の参考にするケースです。
藤野英人『投資家みたいに生きろ 将来の不安を打ち破る人生戦略』(2019年・ダイヤモンド社)は、投資家の思考や習慣を生き方に取り入れることを提案するものです。投資を「お金だけの話」に閉じるのではなく、「エネルギーを投入して未来からお返しをいただく行為」(p.41)と広く捉え、日々の過ごし方を投資の視点で最適化していくことを説いています。
続いて井上大輔『マーケターのように生きろ──「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動』(2021年・東洋経済新報社)は、マーケティング思考を、日々の仕事、キャリア、副業、プライベートといった人生のさまざまな局面に活かすことを提案しています。マーケターが仕事で使用する「市場を定義し、価値を定義し、つくりだし、伝える」(p.34)という思考法は、友人とのコミュニケーションや親子関係にも拡張できるとしています。
マネジメントの知識を家庭・夫婦のあり方に活かす
自己啓発の定義をもう少し広くとると、マネジメントの知識を活かして家庭・夫婦のあり方を改善することで、よりよく生きようとするものが見つかります。
あかしゆか『仕事も家庭もうまくいく!共働きのすごい対話術』(2022年・クロスメディア・パブリッシング)は、マーケティングやブランディングの仕事をしてきた著者による本です。夫婦の理想を強力して叶えるために、「家庭の経営会議」を開くこと(p.18)、ビジョンを共有することやPDCAを欠かさないこと(p.69-84)などが提案されています。
また、藏本雄一『仕事のパフォーマンスを最大化する 戦略としての家庭マネジメント』(2023年・ぱる出版)は、「仕事と家庭の相乗効果で、人生を素晴らしいものにする」(p.4)といったコンセプトで書かれたものです。この本でも、「家族を運営する」「価値観をマネジメントする」という提案が登場しますが、それらの主目的が仕事のパフォーマンスを上げること(「仕事で成果を出すために、家庭を円満にする」(p.4))に向けられている点が特徴的です。
このような自己啓発のトレンドは、「社会学を専攻した学生としての私」にとっては、不思議で興味深いものです。ビジネスの知識が体系化され、広く流通するようになったのは新しいことではないのに、なぜ近年になって、それを生き方に取り込む動きが盛んになったのでしょうか。上記の本では、終身雇用の終焉、老後の生活の問題、共働き世帯の増加といった時代の変化が理由として挙げられていますが、要因はきっとそれだけではありません。各種デバイスやアプリの普及といった技術的条件や、自己啓発産業の成長といった観点からも、調べてみる必要がありそうです。
一方で、「会社員として働きながら大学院に通う私」の振る舞いを振り返ると、ビジネスの知識を活かして日々の問題に対処することは、それほど不自然なことではないとも感じます。仕事をして過ごす時間が長く、仕事・家庭・学生生活に明確な線引きをすることは困難(リモートワークでそれはさらに加速した)だとすれば、仕事を通じて得た知識や思考様式が自分の中で存在感を増していき、それをさまざまなシーンで活用しようとするのは、当たり前の流れだと思えるからです。このような自己矛盾があることも含めて、私にとって自己啓発というテーマは魅力的です。
ちなみに、自己啓発を行うための本ではなく、自己啓発という行いそのものを理解するための本もいくつも登場しています。
- アナ・カタリーナ・シャフナー『自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで』(2022年・日経ナショナル ジオグラフィック):自己啓発本を10パターンに分類している。
- 牧野智和『自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探究』(2012年・勁草書房):日本の自己啓発メディアについて社会学的に読み解いている。
- 『SPECTATOR』 2023年Vo.51(幻冬舎):「自己啓発のひみつ」という特集が組まれている。漫画やインタビュー、代表的な自己啓発本の紹介があり読みやすい。
興味がある方は、ぜひ手にとってみてください!
1. 牧野(2012)の定義を参考にしました。
2. 2000年代にも、人生とマーケティングやPRの知を結びつけることを謳う本は刊行されていましたが、そこで主に扱われていたのは、キャリア構築や仕事における振る舞いであり、家庭や友人との関係、人生全体にそれらの知を活かすような発想はまだ強くなかったと思われます。