絵筆をさまよわせないために

博士課程の飯田と申します。初めての投稿となる今回は、4月に見に行った「さまよえる絵筆−東京・京都 戦時下の前衛画家たち」(板橋区立美術館)という展示会についてお伝えします。

日常にも戦争の影が迫ってきた1930年代後半は、日本の前衛画壇が大きな盛り上がりをみせた時期でもありました。しかし時局の進展から、前衛芸術は次第に自由な表現ができなくなり、別の新たな表現やテーマを模索していきます。展示会が掲げるキーワードは「古典」。これまで磨いてきた技法や感覚で仏像、埴輪、京都の庭園といった日本の伝統的な題材を再解釈して表現したり、西洋の古典絵画のモチーフを拝借し、当時の雰囲気をまとわせた一品に仕上げたりしています。地方に出向き、民俗学的な視点で農民や農具をスケッチした人もいました。会場では福沢一郎や杉全(すぎまた)直、北脇昇、松本竣介、靉光、難波田龍起、吉井忠など約30人の画家による、44年ごろまでの作品約100点に出合えます。

インターネットで調べてもらえればいくつかの作品が見られますが、私が感じたのは、描きたいものが描けないという暗い悲壮感というより、自省しながらも手触りのあるものを探そうとする一種のしたたかさのようなものでした。もちろん、中には戦意を鼓舞する戦争絵画を描いた人もいます。心中穏やかなわけはなかったでしょう。戦争に反対する声をあげたくてもあげられない辛さは想像に余りあります。それでも、生き延びるためには描くしかない、というのが彼らの根源的な性質なのでしょうか。展示作品の多くが戦局の悪化前に描かれたものであることも関係すると思いますが、作品ひとつひとつに「面白さ」を覚えました。

私が行った日は、杉全直の孫であるイラストレーターの杉全美帆子さんと学芸員さんによるトークショーもありました。美帆子さんは祖父のさまざまな思い出を披露してくれましたが、戦争については「いっさい何も話さなかった」と言っていました。 


もうひとつ、展示会で目を引いたのは、タブロイド紙『土曜日』や雑誌『世界文化』『京大俳句』『学生評論』など、当時京都で発行されていた印刷物の数々です。これらには前衛画家が関係しており、特に『土曜日』は、いわゆる知識人と大衆を結びつけるのに成功したといわれる伝説の週刊紙でした。紙面を見ると、画家たちのイラストが使われ、堅苦しさや押し付けがましさがなく、書き手と読み手のフォーラム的な機能を果たしていたであろうことを感じさせます。発行人の一人である美学者中井正一が検挙されるまで、部数がずっと伸びていたというのもうなずけました。これらの印刷物はすべて廃刊に追い込まれています。展示会から教訓を読み取るのは私たちの責務だといえそうです。

最近、図録を一般書籍として出す展示会がありますが、「さまよえる絵筆」もそうで、みすず書房から専門家による論考を加えた図録が出ています。読み応えがあるので、ゆっくり楽しみながらページを開いています。展示会は23日まで。興味があればぜひ。