社会を描く マンガで描く

今回のフィールドレビューは、修士課程のヴァルッテリ・ヴオリコスキが担当いたします。このフィールドレビューでは、アートとしてのマンガが、1)個人に与える意味、また、2)国家や社会に与える意味を、『The Art of Charlie Chan Hock Chye(チャーリー・チャン・ホック・チェーのアート)』という作品をとおして考えたいと思います。

ソニー・リュウ(Sonny Liew)の『The Art of Charlie Chan Hock Chye』は、2015年にシンガポールの小さい出版社によって出版され、国内でヒットしました。しかし同年、シンガポールの国立芸術協議会が、マンガの内容が政治的にデリケートであることを主張し、出版社に与えられた助成金の払い戻しを要求したのです。その結果、このマンガは欧米で大きく注目され、2016年に合衆国の大手出版社によって国際的に出版されるまでになりました。

『The Art of Charlie Chan Hock Chye』は、チャーリーという1938年生まれのシンガポールの漫画家の伝記です。70歳になったチャーリーは、インタビューの聞き手であるリュウ氏とともに登場し、16歳から始まった漫画家のキャリアをつうじて、シンガポールという社会や国家がどう変わっていったのか、マンガを描くことはどんな意味を持つのかについて語ります。ページの大部分が、チャーリーが描いたマンガのサンプルから構成されています。そのほとんどには、「未発表」のマークが付けられています。

チャーリーがシンガポールを植民地として占領したイギリスと日本のマンガを読み、戦後にアメリカのスーパーヒーローコミックや手塚治虫のマンガを読むなかで、こういった国際的なシーンに登場する様々なスタイルや表現方法を吸収し、自分のマンガの中で活用していきます。

しかし、漫画家として生活するのはどの国でも簡単ではありません。チャーリーは警備員と他の雑用の仕事で稼いだ金で、自分のマンガを自費出版します。チャーリーの作品には、いつも政治的な次元があります。例えば、シンガポールが植民地だった時代には、イギリスと日本の当局を批判しています。また、独立運動や学生運動の時代には、左派運動に共感を示しています。シンガポール初代首相リー・クヤンユーをはじめ、多くの歴史的な人物を登場させ、現代ではあまり語られていない歴史の出来事を語らせます。

その結果、当局から検閲を受けたり、出版社との軋轢が起こったりといったことが繰り返し起こります。しかし、チャーリーはマンガを描くことの意義を信じます。両親の圧力によって、いったんはコマーシャル・アーティストになろうともしましたがすぐにやめてしまい、自分のビションにあうマンガだけを描くことになっていくのです。

ただし、ここで重要なことは、チャーリーは架空の人物だということです。この本は、実際はリュウ氏のエッセーマンガなのです。でもその事実は、マンガの内容の価値を下げません。むしろこういった「メタマンガ」は、マンガという、もともと「あまりシリアスではない」メディアのもつ可能性を拓きます。『The Art of Charlie Chan Hock Chye』は、政治運動や社会運動の歴史を描きながら、マンガというアート自体の意味を見事に提示くれるすぐれた作品なのではないでしょうか。マンガはまさしく、“social commentary”としてのアートと言えるのかもしれません。