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メディアがつくった甲子園

作者: Miyabara Daiki | 2019年9月02日Posted in: フィールドレビュー

こんにちは、修士課程1年の宮原です。今年の夏も全国高等学校野球選手権大会が甲子園で開催され、大阪府代表の履正社高校が初優勝を飾るという結果で幕を閉じました。

もはや国民的行事と言える「甲子園」ですが、一アマチュアスポーツにすぎない高校生の全国大会に多くの人々が熱狂するというのは稀有なことです。そして、そのような盛り上がりを見せる「甲子園」ですが、実はメディアと大きく関わっているイベントであるということをご存知でしょうか。今回は有山輝雄『甲子園野球と日本人—メディアのつくったイベント』(吉川弘文館)を参考に甲子園とメディアの関係を見ていきたいと思います。

学生野球の全国大会の始まりは、1915(大正4)年の夏まで遡ります。当時は旧制中学校が参加する大会であり、大会名も全国中等学校優勝野球大会というものでした。大会誕生の背景には、いくつかの潮流を見ることができます。

一つは、この大会が箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄の前身)の沿線開発の一部として計画されたということです。現在では、大会の代名詞にもなっている甲子園球場ですが、大会初期は別の球場が使用されていました。第1回大会は箕面有馬電気軌道が所有する大阪府の豊中グランドが開催地となっています。箕面有馬電気軌道は旅客誘致策として、宝塚歌劇団の創設や遊園地の開発などを行いましたが、豊中グランドでの野球大会もその一つでした。第1回大会以降も観客や試合数の増加に伴い、開催球場は何度か移転しましたが、それらも私鉄の旅客誘致に絡んだものでした。

また、大会誕生の背景を語る際に欠かすことができないのが、当時の主流メディアであった新聞の存在です。夏の大会は第1回から現在に至るまで朝日新聞社が主催していますが、そのようになった要因には朝日新聞の経営戦略が影響しています。大会誕生当時の新聞各社は、自社で様々なイベントを創出し、それらを独占的に報道するという経営方針によって、各社の独自性を打ち出していました。こうした独占的ニュースによって生まれた差異をきっかけにキャンペーンを展開し、読者拡大や広告増益を図ろうとしていたのです。

そこで、同様の経営戦略をとっていた朝日新聞は、明治期から人気を博していた学生野球に注目し、全国大会を開催することで販路拡大を目指しました。こうした経営戦略に則り、朝日新聞は自社の紙面などを使い、大会を大々的に宣伝していきます。このような戦略がとられた結果として、学生野球の全国大会が、メディアを通して、民衆の娯楽として大規模に広まっていくこととなります。こうした朝日新聞に対抗して、1924(大正13)年4月、毎日新聞が全国選抜中等学校野球大会を主催しました。第1回は名古屋市の山本球場で開催されましたが、第2回以降は甲子園球場に場所を移します。これが「春の甲子園」の始まりです。以上のように、現在親しまれている「夏の甲子園」と「春の甲子園」はそれぞれ新聞社の経営競争の中で成立していったのです。

新聞社の働きによって生まれた「甲子園」ですが、新聞だけでなくラジオやテレビの中継など、他のメディアによってもその盛り上がりが後押しされるようになります。近年では、インターネットによる全試合中継も行われるようになりました。もちろん、「甲子園」が国民的行事になりえた要因には、何よりもまず、人々が球児たちの頑張る姿に感動しているということがあるでしょう。しかし、ここで見てきたように、メディアも重要な要因になっていると言えます。

来年は東京オリンピックも控えており、ますます各種スポーツの盛り上がりが期待されます。オリンピックを見る際にも、メディアのことを考えてみると、スポーツの見方が少し変わるかもしれません。