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サークル誌の企画展に行ってきました

作者: Chung Ji Hye | 2015年6月05日Posted in: フィールドレビュー

今回のフィールドレビューは博士課程の丁が担当します。5月30日に神戸文学館(神戸市灘区)で開催された「神戸・サークル誌の時代」企画展の記念催しトーク&ディスカッション「海港都市神戸のサークル誌―街・人・文学―」に行ってきました。

会場に入ると敗戦直後の神戸の街並の写真や昔のガリ版で印刷された雑誌「サークル誌」が展示されていました。これは、無名の労働者たちが残した雑誌の形態です。戦後に地域や職場で「サークル」と呼ばれる小グループに集い、日々の仕事や生活を題材として詩や小説を創作し、「サークル誌」と呼ばれるガリ版で刷られた小冊子にのせて発信していたそうです。敗戦直後から60年頃までの数多くの貴重なサークル誌『破壊者』『新日本文学』『文学通信』『足音』などが展示されていました。

この日はこのサークル誌について研究しておられる黒川伊織さん(神戸大学国際文化学研究推進センター協力研究員)と村上しほりさん(阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 震災資料専門員)のトークをお聞きすることができました。私自身は神戸出身ですが、全く知らなかった神戸の歴史の一面を垣間みることができました。とても興味深いお話でしたので、以下に要約します。

敗戦直後のサークル誌運動の発展は、GHQによる占領初期の労働運動育成策がきっかけとなりました。神戸では、神戸市役所や兵庫県庁、神戸中央電話局、川崎造船などの労働組合を中心として読書会などが活発化し、発展していきました。しかし、1949年〜50年にかけてのレッド・パージによって、多くの人々が筆を折らざるを得なかったそうです。朝鮮戦争下では共産党の分裂や左派への抑圧があり、サークル誌運動は非常に厳しくなりました。今回は、そのような抑圧の中に発行されていた大変貴重なサークル誌が発見されたそうです。

例えば、神戸/神戸港は朝鮮戦争における日本国内の最前線の地のひとつだったのですが、朝鮮戦争下での抑圧と抵抗を反映した表現(金海光の詩「黒い貨物車が走る」(1951)など)も見つかりました。当時、朝鮮戦争下で朝鮮人サークル詩人が残した作品は極めて貴重だそうです。抑圧の厳しい時代に、「鉄路」「海峡」「汽車」、あるいは「西へ向かう軍用列車」などという表現は、朝鮮戦争下での抵抗の定型的表現だったそうで、詩人たちは知恵を絞って自己表現をしていました。当時、朝鮮戦争に反対する運動としての「反戦ビラ撒き」などは、占領政策違反で重罪になったとのことで、こういった抵抗は命がけの行為でした。

また、村上さんの方から戦災都市神戸についてのお話もありました。神戸は敗戦後、市街地の7割が焼失し、焼け野原から復興したそうです。1945年の9月25日に進駐軍の駐留が始まり、鉄道や港湾施設、多くの土地や物件が接収されました。その中でも臨港線というのは、明治末期に開通した灘駅と神戸港を結ぶ線路で、現在は廃線となっています。朝鮮戦争のときには国鉄吹田操車場などから連日、国連軍への支援物資や兵器や爆弾などが貨物列車に乗せられ、この臨港線を通って神戸港から船に移され朝鮮半島に運ばれたそうです。(1952年の「吹田事件」など抵抗運動も起こる)

神戸の中心の膨大な土地は、かつての米軍の接収地で、現在のそごう神戸店から南、フラワーロードの東側はイースト・キャンプと呼ばれる白人兵中心のキャンプ、そしてそれよりだいぶ西側の新開地近辺にウェスト・キャンプと呼ばれる黒人兵中心のキャンプがあったとのことで、占領下の神戸における進駐軍基地の配置にも、アメリカ国内の人種差別が反映されていたようです。そして、地図を見てそのキャンプの土地の大きさにも驚愕しました。神戸の中心地にこれだけ大きな土地が接収されていたという事実は、神戸出身の自分でも全く教わったことのない事柄でした。当然のことながら地域住民たちとのトラブルや犯罪なども起こったらしく、教科書には載っていないもうひとつの神戸の歴史について知ることができたと思います。

ところでサークル誌は、占領が終ったあとも再び表現の場を求める若者たちを中心に高揚していき、その後ベトナム反戦運動などの際に抗議の声をあげる力にもつながっていったそうです。

最後に、催しの後で神戸文学館のすぐ南にある昔の臨港線の跡地を訪ねたので写真をアップロードします。トークとディスカッションはこの日のみの開催でしたが、展示会は、神戸文学館で7月12日(日)まで開催されていますので、ご関心を持たれた方は、ぜひ足をお運び下さい。

案内チラシPDF:http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2015/04/20150410073001.pdf