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ネットメディアは人びとを幸福にできるか

作者: Yamanaka Koji | 2014年11月05日Posted in: フィールドレビュー

今回のフィールドレビューは、修士課程の山中が担当します。先月18日、ノーベル経済学賞の候補とも目された国際的な経済学者・宇沢弘文さんが86歳で亡くなりました。

宇沢さんは「経済学だけでは人間は幸せにならない」と、効率優先の現代社会を批判。環境や教育など経済原則だけで計れない「社会的共通資本」の概念を提唱し、公害問題や教育問題など幅広い分野に影響を与えた人物です。

「社会的共通資本」とはなにか。『経済学と人間の心』の新装版として昨年刊行された『経済学は人びとを幸福にできるか』によれば、ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を持続的,安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置のことを指します。たとえば大気や水道、教育、報道など、地域文化を維持するには一つとして欠かすことができず、市場原理に委ねてはいけないものに含まれるそうです。

宇沢さんは生前、水俣病や成田闘争の一線に立つなど、社会矛盾の現場にも身を投じてきました。これらの問題はまさに、人間が生きる上で欠かすことのできないものが、市場原理によって浸食されていた例だったのでしょう。

ところで、報道を担うメディアも、「社会的共通資本」に含まれています。権力を批判するジャーナリズムは、市場原理にゆだねることはできません。あるいは地域でくらす人々が欲するローカルな情報も、市場原理だけを考えれば掬い取ることが出来ません。

ネットや携帯電話が登場する以前、90年代半ば以前の日本におけるメディア環境では、テレビと新聞という2大マスメディアが覇権を誇っていました。それを背後から作り上げていたのは大手広告代理店でした。そうである以上、市場原理が色濃く反映されたものだったのだと思います。

しかし90年代半ば以降のデジタル情報化により状況は変わります。それまで一部の専門家の手にゆだねられていたメディアという資本が、ネットという限られた空間のなかでとはいえ、市民がアクセス可能なものとなったのです。

それでは、現段階で本来の意味で「社会的共通資本」としてのメディアがネット空間で生まれているかと問われれば、疑問符をつけざるを得ません。いまネットメディアとして話題に上るのは、人々の指向に合わせて極端に細分化されたパブリッシャーや、パブリッシャーが発信するコンテンツを収集・整理して提供するキュレーションメディア。そして雨後の筍のように乱立するそれらのメディアを運営するのは、ベンチャー企業である事がほとんどです。巨大な資本を持つマスメディアに比べ、収益の基盤が弱いこれらの企業が発信する情報は、より市場原理にのっとったものに成らざるを得ないのではないでしょうか。

いま、ネットメディア界隈では「メディア業界がおもしろい」と言われます。いってみれば「メディア戦国時代」のようなもので、様々なメディアが乱立し、しのぎを削っているからです。しかしその激しい競争のなかで、「社会的共通資本」としてのメディアが生まれ、生き残っていくためには、そうしたメディアを市場原理の競争から守り、支援するようなしくみが必要なのではないかと思います。