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研究室プロジェクトから修士論文へ

作者: Kitani Yuri | 2014年3月05日Posted in: フィールドレビュー

みなさん、こんにちは。修士課程2年の木谷です。この3月で丹羽研究室を巣立つ私にとっては、最後のフィールドレビューとなります。そこで今回は、丹羽研究室で過ごした2年半を振り返りつつも、丹羽研のプロジェクトから発した私の修士論文についてお話したいと思います。

私が丹羽研究室の一員になったのは、大学院入学の半年前のことでした。というのも、丹羽研究室では、通称M0(マスターコース0年目)といって、大学院の合格発表直後から、研究室の様々なプロジェクトやゼミに参加することができるからです。そのため大学院入学時には、丹羽研究室が行っている様々なプロジェクトの概要や運営の要領などをある程度把握できるまでになっていました。

そして入学後まもない5月には、テレビアーカイブ・プロジェクトの1つである「みんなでテレビを見る会」のコーディネーターを担当しました。ちなみに「みんなでテレビを見る会」とは、過去につくられたテレビ番組をみんなで視聴し、制作者を交えて語り合うワークショップのことです。このプロジェクトは、放送番組やゲストの決定から、当日の運営などを含めて、全て丹羽研究室のメンバーが行っているプロジェクトです。なお、コーディネーターは、それらに加え、案内文作成やゲストとの打ち合わせ、当日の司会進行を行います。

私はこの「みんなでテレビを見る会」の第5回のコーディネーターを務めました。この第5回は、「沖縄返還から40年 忘れ去られた密約」というテーマで、『メディアの敗北~沖縄返還をめぐる密約と12日間の戦い』(琉球朝日放送、2003年)というドキュメンタリー番組を取り上げました。番組や第5回の詳しい内容に関してはブログのバックナンバー(2012年5月7日、5月31日)を見ていただきたいのですが、この番組は、"外務省機密漏洩事件"ないし"沖縄(返還)密約事件"という名で知られている事件のメディア報道を検証した番組です。

私たち丹羽研究室では、第5回が開催される5月に、沖縄返還からちょうど40年の節目に当たるのに際して、上記番組を取り上げることにしました。その際、私は沖縄に興味があったため、事件についてはほとんど何も知らなかったのですが、コーディネーターをやりたいと申し出ました。ちなみに、学年に関わらず「やりたい!」と思う人が、そのプロジェクトに主体的に関わることができるということは、丹羽研究室の魅力の1つです。

そして結果的に第5回「みんなでテレビを見る会」のコーディネーターを務めたことは、私の研究に大きな影響を及ぼしました。ここで上映した『メディアの敗北』の視聴、および上映のために調べ上げた"密約"関連の資料を読み進める中で感じた1つの疑問が、私の修士論文の問いになったのです。その問いとは、「"密約"をめぐる語りの中で、"沖縄"はいかに語られてきたのか」ということです。かなり抽象的な問いなので、もう少し説明していきます。

先述したように、恥ずかしながら私は、当初、"外務省機密漏洩事件"ないし"沖縄(返還)密約事件"がどういったものか全く知りませんでした。そのため、手探りの状態から"事件"ないし"密約"について調べ始めました。すると、この事件は、"密約"を明るみにしたとされる外務省の機密文書を漏洩したとして1人の新聞記者と外務省の事務官が逮捕された事件であると(語られていることが)わかってきました。そして、事件の焦点が"知る権利"から"男女のスキャンダル"へと変わっていったと(語られていることも)わかってきました。

しかしながら、番組やその他、事件に関し書かれた書籍などを読む限り、知る権利の中身である"密約"が深く掘り下げて語られていませんでした。そのため私は、次のようなことが気になって仕方がありませんでした。「政府が国民を欺いて密約を結んだことが"知る権利"の侵害としてひたすら批判されているけど、そもそも、この"密約"の内容は沖縄の人々にとってどのような意味を持つものだったのだろうか」といったことです。

そこで、修士論文において私は、この"密約"がいかに語られてきたのかということを雑誌や新聞、テレビ番組の分析することを通し、"密約"がいかに"沖縄"の問題として語られてきたのか/あるいはこなかったのかということを考察しました。

結局、"密約"はほとんど沖縄の問題と結びついて語られてくることはありませんでした。しかし、"密約"の内容(いわゆる沖縄返還協定においてアメリカ側が支払うことになっている軍用地復元補償を実は日本側が肩代わりするという約束があるのでは、というもの)に関して、軍用地復元補償費や対米請求権問題の系譜を辿っていくと、そもそも軍用地復元補償費などを含めた講和前補償に関しては、戦後一貫して日米両政府がその責任を互いに押し付け合い、自らの補償責任を否定してきたということが分かりました。

たしかに、日米"密約"があったのであれば、それは批判されるべきことだと思います。しかし、戦後一貫して、沖縄の講和前補償の責任を放置し続け、補償責任を明確にしてこなかったことそれ自体も批判されるべきことなのではないかと思いました。

これ以外にもこの"密約"問題に関しては、まだまだ言いたいことがたくさんあるのですが、様々なことを書いてしまうと焦点がぼやけてしまうので、この辺にしておきます。

さて、長々と修士論文の内容の一部を書き連ねてしましましたが、こうした私の経験を踏まえてここで皆様にお伝えしたかったことは次の2つに集約されます。

  ①丹羽研ではM0から色々プロジェクトに関わることができる

  ②研究室プロジェクトを通して、研究の問いが見つかることがある

丹羽研究室は、自ら望めば様々なチャンスが掴めるところだと思います。また、先生を始め研究室の先輩、同期、後輩、みんなとてもよい人たちばかりでした。特に、同期の2人には本当に感謝してもしきれません。修士論文を書く過程で辛かった時、いつも励ましてくれ、よいアドバイスをしてくれました。研究室プロジェクトで知り合った方々、そして研究室のメンバーの皆様、2年半、本当にありがとうございました。