10月
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山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加して

作者: Matsuyama Hideaki | 2013年10月15日Posted in: フィールドレビュー

今回のフィールドレビューは、博士課程の松山秀明が担当させていただきます。私は去る10月11日から14日まで、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に参加してきました。この映画祭は、2年に一度開かれる大きな国際ドキュメンタリー映画祭で、今年で13回目を迎えます。http://www.yidff.jp/home.html

今年は山形市内の5つの会場で、200余りのドキュメンタリー映画が上映されました。この「山ドキュ」には前々から行きたいと思っていたのですが、今回初めて参加することができました(念願のドキュメンタリー好きが集う「香味庵」にも行きました笑)。

2013-10-11

今回私は、多くの上映作品を見させていただいたと同時に、13日(日)には「震災映画のアーカイブ」というディスカッションにも登壇させていただきました。このディスカッションは震災映画を特集した「ともにある Cinema with Us 2013」のセッションの一部として企画されたもので、小川直人さん(せんだいメディアテーク)、岡田秀則さん(フィルムセンター主任研究員)、三浦哲哉さん(Image. Fukushima代表)らとともに、これから震災ドキュメンタリー映画をどのようにアーカイブするかについての議論を行ないました。会場となったのは、山形美術館です。

2013-10-11

現在、山形国際ドキュメンタリー映画祭では、震災映画を一元的にアーカイブしようとする動きが出ています。そうした震災映画のアーカイブを適切に構築のために必要なこととは何か、具体的に7世代先(180年後)にも残るアーカイブにするためにはどうすれば良いのかについて話し合いました。

私にふられたお題は、テレビにおける震災アーカイブの現状だったので、まずそれを主に話しました。そのうえで、震災映画を「単体」のものとして考えるのではなく、映像メディア「全体」を複眼的に見て、ドキュメンタリー映画というメディアの特性を活かしながらアーカイブを構築していく重要性を指摘しました(このブログの末尾に、当日配った資料を添付しておきます)。

いかんせん時間の制約上、そのあと話したいことの半分も言えなかったので、この場を借りて、以下に少し私が思っていたことを書きたいと思います。

現在まで、劇場公開・自主上映・映画祭事務局に集まったものだけで震災映画は200本を超えます(「ともにある」パンフレット参照)。今後、これらをどのようにアーカイブ化していくか。アーカイブ化する過程を(1)収集、(2)保存、(3)活用、の3つに分けると考えやすくなります。

(1)収集

まず、収集するにあたって「震災映画」の定義を確定するべきです。震災映画とは一般的に東日本大震災を撮った映画のことを指しますが、必ずしも被災地で撮られている必要はなく、また、3.11以後に撮られている必要もありません。3.11以前に撮った映像でも、それが今はなき貴重な風景ならば、立派な震災映画と呼ぶにたるものがあるはずです。こうした震災映画の定義をまず早急に確定させておく必要があります。

そして、そのうえで、これらの映画を「完成された作品」としてだけ収集しても意味がありません。その作家が撮った第一次映像資料(いわゆる素材)までを含めて収集するべきだと思います。そうすることで、今後散逸してしまうかもしれない震災映像を確保するだけでなく、作家がどこの部分を切り落としたかを事後的に検証することが可能となります。とくにドキュメンタリー映画の場合、フリーの作家たちがテレビにはない映像を撮ってくる場合が多いので、「素材」までを収集の対象とする必要があります。これらは膨大な量になるかもしれません。しかし、こうした網羅性がアーカイブを豊かにしていくのだと思います。

(2)保存

次に、これらの映画を具体的に保存する段階になるわけですが、180年後のアーカイブについて考えるとどうしても「保存媒体」について考えなければなりません。現在のデジタルはとても180年は持ちません。登壇した岡田さんの言葉を借りれば、その都度、「migration(定期的複製)」が必要となります。誰も180年後のメディア媒体を予測することはできません。(これは今から180年前を考えてみても明らかで、今から180年前は江戸時代の天保です。当時は「瓦版」が主流でした)。

こうして次世代にあう形で随時、震災映画の複製を行なっていくわけですが、それと同時に、これらの映像資料をどのように整理するべきか、「メタデータ」の問題も考えていかなければなりません。とくに映像メディアの場合はこのメタデータの問題がやっかいで、それは映像が非言語テクストのためにインデックスの付与に適していないからです。

そこで、私は震災映画の場合には「時間」と「空間」によりマッピングするのが一番適切だと思っています。つまり、この映画は「いつ」、「どこで」撮られたものかを明確にする。例えば、2011年4月11日に南三陸町で取られた映像という風に、マッピングを行なっていきます。そうすることで、素材までを含めた映像アーカイブが検索しやすくなるはずです。(これはGoogle Map上に展開するNHK東日本アーカイブスが大変参考になると思います)。

(3)活用

最後に活用の段階ですが、これがかなり大事で、アーカイブは結局、使われなければ意味がありません。アーカイブが権威の象徴だったのは中世までのことで、現代のアーカイブはオープンアクセスでなければ死蔵と同じです。この活用の段階が活発化してくると、先の「収集」とうまく循環していきます。

活用の方法はさまざまあるでしょうが、まず上映会の定期的な開催があります。ただ、これだけでは、制作者たちのメリットがなかなかありません。これは当日会場からの質問でもあったことですが、制作者が山形の事務局に収集を依頼するメリットがなければ、アーカイブはなかなか機能していかない。もちろん劇場上映をする機会がない作品を上映することで制作者のメリットとして還元できる場合もあります。しかし、それだけでは弱い。ではどうするか。

私は、集めた「素材」をフェアユースにするべきだと思います。さまざまな作家が撮ってきた震災映像をある一定の範囲内でフェアユースにし、お互いに共有するシステムを作る。そうすることで、自分の映画を納入するとともに、他からの引用も可能となる。作家個々人の倫理的な問題など難しさもありますが、こうすることでアーカイブが「動いて」いくのだと思います。これは制作者と事務局との間の「信頼関係」が築けていればこそ、可能になるものだと思います。

以上、長くなってしまいましたが、少し「震災映画アーカイブ」に対する提言を行ないました。かなり一般的な話ではありますが、やはり基本に沿って愚直に、収集、保存、活用を循環させていくことがアーカイブにとって大切なことだと思います。

そして、どんなアーカイブでも、やはり地道な作業が必要です。地道な作業が良いアーカイブ構築へと繋がり、未来への遺産となっていくのだと思います。そのために私も研究者として、今後もいろいろな活動をしていきたいと思っています。