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テレビ60年を迎えて

作者: Matsuyama Hideaki | 2013年4月01日Posted in: フィールドレビュー

2013年度、最初のフィールドレビューは、博士課程の松山秀明が担当いたします。月日がたつのは早いもので、この4月から博士課程3年となりました。そろそろ自分が行ってきた研究の成果をまとめ、博士論文として形にする段階に入ってきました。

 そこで、まず、最近わたしが関わった活動(主に2012年度後半)を報告することから始めたいと思います。

① シンポジウム「映画、建築、記憶」の開催(2012年11月17日,於東京大学)

② シンポジウム「ドキュメンタリー研究への出発――事例から考える/理論から考える」での研究報告(2012年12月14日,於法政大学)

③ 学会「Media Histories/ Media Theories& East Asia」での研究報告(2013年2月8日,於UCバークレー)

④ 放送文化アーカイブの構築、運営(2013年3月13日,於千代田放送会館)

①は、2011年にフランスで開かれた「東大フォーラム」の続編として、他の研究室院生とともにゼロから企画したシンポジウムです。映画監督の諏訪敦彦氏、建築評論家の五十嵐太郎氏を招き、東日本大震災以後のいまを生きる私たちの記憶の問題系を、映画と建築という2つの側面から議論しました。このシンポジウムの記録は、『東京大学大学院情報学環状紀要 情報学研究・調査研究編』第29号(2013年3月)に掲載予定です。興味のある方はぜひお読みいただければ嬉しいです。

②は、法政大学で開かれた学内シンポジウムにて、テレビ・ドキュメンタリーを事例から考える意味について報告させていただきました。③は、それをさらに発展させ、学会にて発表したものです。発表タイトルは、"Tokyo in Experimental Television Documentaries of the 1960s"で、文字通り、1960年代に作られた実験的なテレビ・ドキュメンタリーについて発表しました。この発表では、吉田直哉さん(元NHKディレクター)が作った『TOKYO』(1962)と、村木良彦さん(元TBSディレクター)が作った『わたしのトゥイギー 67年夏・東京』(1967)という番組を取り上げました。なぜ60年代に彼らは「若い女性」から東京を描こうとしたのかという問いは、まだまだ甘いものでしたが、海外の人の受けもよく(番組の内容がですが…)、テレビ研究は海外でも新鮮なものであることを確認できたのが収穫でした。

これらの最近の活動を見ていると、私はいったい何を専門としているのか分からなくなりますが(笑)、私の現在の興味は「日本におけるテレビ史」にあります。あるいは「日本におけるテレビ研究史」と言っていいかもしれません。そうした意味で、私の研究関心と深くかかわることが出来たのは、NHK放送文化研究所とともにすすめた④ 放送文化アーカイブの構築です。

放送文化アーカイブとは、放送するにあたって収集・保存されていた資料群を、統合的に検索できるサイトを作ろうというものです。番組や脚本以外の文書資料、番組のセット図面、制作者たちの証言VTR、あるいは世論調査や過去の調査研究・論文群を、一括して検索できるような、そんなサイトの構築を目指しました。これは、これからの放送研究、あるいは番組制作にとって、たいへん有意義なものとなることは言うまでもありません。私は、研究員の方とともに、1年間ほどかけ、この構築に非力ながら参加させていただきました。

この中間報告が先日、千代田放送会館にて行われ、そのシンポジウムの運営にも携わりました。丹羽先生も登壇者の一人として参加され、先生は素晴らしい発言をされておりました。ちなみに、その日のNHK『首都圏ニュース845』にて紹介されるという偉業も成し遂げられておりました。視聴率は17%だったらしいので、約500万人が見たことになりますね(笑)

閑話休題、この放送文化アーカイブは、あるタイミングに合わせて構築されたものです。そのタイミングとは何でしょう。そう、今年(2013年)は、テレビ開始60年の節目になります。1953年に誕生した日本のテレビジョンは、今年で60年。人間で言えば、還暦を迎えたわけです。1953年2月1日に日本放送協会(NHK)、8月28日に日本テレビ放送網(NTV)がそれぞれ放送を開始しました。この60年という節目のタイミングで、放送関連資料を統合しようとプロジェクトが立ちあがったわけなのです。

また、このテレビ60年を記念して、今年の2月1日には、いろいろな番組が放送されていました。60年を迎えたのはNHKと日本テレビだけなので基本的にこの2局だけでしたが、たとえば両局でのドラマ対決、アーカイブ対決、スペシャルドラマ、そして、過去の番組を振り返るアーカイブ番組などが放送されていました。私もいろいろと録画をし、できる限り視聴したのですが、そのなかでも印象的だったのが、NHK『"テレビのチカラ" あの人が選ぶ"忘れられない名番組"』という番組内での、ある人の発言でした。

番組自体は、鈴木健二さんと武田真一さんという新旧アナウンサーの共演、CGによる2人の黒柳徹子さんの掛け合いなど、見どころがたくさんあったのですが、そのなかでも萩本欽一さん(欽ちゃん)の発言にグッとくるものがあったのです。

television no chikara

(NHK特設サイト「これまでも、これからも。NHK TV60」 http://www.nhk.or.jp/tv60/detail01/より引用)

60年を迎えたテレビは、新たなメディア状況のなかで、現在、苦戦を強いられています。とくに若い世代のテレビ離れが指摘されるようになって久しくなります。そんなテレビの危機的な状況のなかで、欽ちゃんは、番組のなかでこう言います。

「テレビには面白いことが100あるに違いない。僕はそのうち3つは見つけることができたと思う(注:素人起用などのことです)。でも、まだテレビは50%くらいしか開拓されてないんじゃないんですか。まだそれだけ残ってるのに、何をいま、足踏みしてるんだろう。何をいま、テレビ60年なんか言ってるんだろう。まだこの化け物は、お面をかぶってる。ぜひ若い人の力でそれをむしり取ってもらいたいと思います。」

欽ちゃんのこの発言は、若手ディレクターに向けられたものなのでしょうが、それは、私など、若手のメディア研究者にもあてはまることなんだろうと勝手に思いながら聞いていました。最近、ソーシャル・メディアに長けた若手の論客たちが、アンチ・テレビを喜々として語る姿をよく目にします。「テレビは、ソーシャル・メディアの話題提供にしかすぎない――」。そう言いきる方もいました。そして、そうした若手の論客たちに、テレビがむしろ迎合してしまっている現実もあります。

けれども、本当にそうなのでしょうか。テレビというメディアにはもう可能性が残されていないのでしょうか。私は放送局の作り手という立場ではありませんが、研究者という立場から、この問題に取り組まなければならないと思っています。テレビという化け物の、化けの皮を剥がすことは、研究にだって、できるはずです。そのためにも、きちんとテレビの歴史や理論をふまえた「放送批評」を確立していくことが、いま求められているのではないでしょうか(放送批評は、必ずしも、ソーシャル・メディアとの対比のなかからだけ、生まれてくるものではないだろうと私は思っています)。

私はいま、可能性の100あるうちの1つでも生むきっかけになればと思いながら、博士論文の執筆を開始しようとしています。テレビ60年という節目のなかで、いま一度、テレビというメディアと日本の戦後史を「広い視点」で眺めてみようと思います。それは、博士論文の領域を超えた作業になるかもしれません。けれども、60年という月日は、ようやくテレビという日常のメディアを相対化できるような位置に我々を置いたこともまた事実です。そうした広い視点を持ちながら、研究を続けていければと考えています。

ここからさらに自分の研究内容について具体的に話していきたいのですが、まだお話しできる段階にありません。まだ壮大すぎると丹羽先生にも言われていまして…(笑)。私の論文のアイディアについては、また固まったとき、次のフィールドレビューの頃にでもお話しできればと思っています。