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諸分野入門としてのドキュメンタリー

作者: Handa Souya | 2020年12月30日Posted in: フィールドレビュー

みなさんこんにちは。今回のフィールドレビュー担当、丹羽研究室修士課程1年の半田です。私はこの記事を年の瀬に執筆していますが、皆さんがこれを読んでいるのはもしかすると新年かもしれませんね。みなさん、よいお年を。あるいは、あけましておめでとうございます、今年は明るい一年となりますように。

さて、今回は丹羽研究室の活動紹介を兼ねて、あるプロジェクトを通して得た私の学びについて綴ってみたいと思います。

丹羽研究室は、TBSグループユニバーシティ(TBS Group University)と共同で「TBS×東大 テレビの学校」プロジェクト(http://media-journalism.org/project/tbs )を行っています。プロジェクト全体の詳しい説明はプロジェクトのページに譲りますが、ざっくりと言えば、TBSがこれまで制作・放映してきたドキュメンタリーを選りすぐり、次世代の「制作者」を育てるための(授業や教材といった)コンテンツを作る、という試みです。

私はこのプロジェクトの中で、他のメンバーの方たちと共にドキュメンタリー番組をひたすら見て、評価して、選りすぐっていく、という作業に加わっています。

映像はいわゆる時間芸術。自分でコントロールできない時間の経過がまどろっこしく、映像より文字情報を優先しがちな私にとって、淡々とドキュメンタリーを見ていく作業は苦行に等しいのではないか。そんな思いを持ちながら取り組み始めた作業でしたが、然もあらず、テレビ番組というプレゼンテーションの形態に落とし込まれた映像作品たちは、私に整理された情報を流し込んで来てくれる......。

それも、福島や東京大空襲、沖縄の占領期にニューヨークで活動する日本人アーティストまで、広く広く、私の知識や興味の幅を広げてくれ、知識欲が満たされていくに連れてどんどんと次の作品も見たくなる......。そんな、苦ではなく寧ろ楽や快が伴う作業であることに気付きました。

少し寄り道をしますと、アーティストでもある私は作品制作時、これまで私が学んできたこと、見聞きしてきたこと、それら全てを動員し、取捨選択と組み合わせによって作品を作り上げます。そのためには常にインプットが不可欠で、インターネット検索や論文漁り、読書などに取り組むわけです。更に言えば、先程、私は動画より文字情報を優先してしまうと言いましたが、本を読むのを面倒臭がりネット検索をメインにして知識を得ようとすることもしばしば。つまり大変に不精者なわけです。

本筋に戻ってきまして、つまり、不精者の私にとって、このドキュメンタリー番組のアーカイブを見ていく作業には3つの魅力が詰まっていました。

第一に、とにかく分かりやすく噛み砕かれている内容を、受動的に享受できるということ。能動的に理解を重ね、ロジックを追いかけていく「読書」に比べ、体力をあまり使わず内容をインプットしていくことができます。これは、テレビというマス向け=その分野の専門ではない視聴者を常に想定しなければならないメディアによるコンテンツ作りの特性が現れているのではないでしょうか。

第二に、自分の普段の興味関心から外れたテーマに触れられるということ。このポイントは同じく丹羽研究室の朱さんがフィールドレビューにて華麗にまとめていらっしゃるので、そちらも是非ご覧ください(http://media-journalism.org/blog/field-review/481-2020-11-09-17-57-03 )。

そして第三に、プロジェクトの作業分担として出されると、強制力が働いてくれること。お陰で自堕落な人間にもインプットの時間が自動的に訪れてくれます(ここは笑うところです)。

さて、このプロジェクトの中で先日、東京大空襲に関するドキュメンタリー作品『3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』を視聴しました。私は広島出身で、戦争教育・平和教育はとても身近に、ごく当たり前にそこにあったので、「太平洋戦争について知らない」という感覚はあまり持っていませんでした。言い換えれば、「無知であることに無知であった」わけです。

私にとって身近な広島という土地は、一つの大きな爆弾によって壊滅的な被害を受けました。一方、「東京大空襲」という語に私が抱いていた印象は、複数の爆弾が隙間を空けながら散らばって落とされていたのだろうというもの。ある地域全体が塗り潰しのように焼き尽くされた原子爆弾とは異なり、東京大空襲は余白のある爆撃だったのだろうと思い込んでいました。

やはり、映像化とよく整理された情報の提示は強い。最大限の被害を与えるための計略のもと、余白を埋め尽くすようにナパーム弾は投下されていました。その被害を記録した写真もまた一目瞭然に空襲の悲惨さを伝えており、私の脳裏にこびり付いたイメージはなかなか離れてくれそうにありません。

それ以来、「東京大空襲を作品のテーマにできないか」ということを頻繁に考えるようになっていますが(そして一つの事柄に近視眼的にこだわらないようアーティストは気を付けるべきだとも思ってはいますが)、さてさて、これによって「果たして私は東京大空襲をテーマにして作品を作るのだろうか?」ということが本稿の結論ではなく。

アーティストにとって、社会問題や歴史について学ぶためにかかる学習コスト(精神的なコストを含む)は高くなりがちで、そして決して少なくない人がそれらを学ぶことを避けがちです。しかしよりよい作品制作のために我々は学ばなければならなくもある。となると、もしかすると、ドキュメンタリーというコンテンツは、放送人だけでなく、我々アーティストの育成にも非常に有用かもしれません。

よくアーティスト同士で「そのコンセプトで作品を作るなら、この本も読むといいよ」と勧め合ったりするのですが、このような気付きがあり、今後、私がアーティスト仲間に勧めるコンテンツにドキュメンタリー作品を加えようと決めました。そしてまた、この気付きから「テレビアーカイブ」の活用法に新たな可能性を見出すことができるかもしれないと思っています。

研究室のプロジェクトを通して自分の領域にも還元できそうなフィードバックが得られていく。そんな経験を得た、私の丹羽研究室の1年目でありました。